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尾上鯉三郎 (初代)

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初代 尾上鯉三郎(しょだい おのえ こいさぶろう、延享2年〈1745年〉 - 文化6年3月9日1809年4月23日〉)とは、江戸時代歌舞伎役者屋号ははじめ音羽屋、のち南部屋俳名芙雀定紋軍配扇、替紋は抱き柏。雅号は青峨堂。

初代尾上菊五郎の門人。宝暦5年(1755年)11月に尾上佐野助を名乗り、江戸市村座で初舞台を踏む。その五年後、尾上春五郎と改名。明和元年(1764年)大坂に行き、同年11月に尾上七三郎と改名する。さらに明和3年(1766年)京に上り、尾上新七と改名し上方を中心に活躍した。寛政8年11月(1796年)、京で尾上鯉三郎と改名。享和2年(1802年)に大坂での舞台を一世一代として隠居し、南部屋孫兵衛と名乗り京祇園町で白粉屋を営み暮らしたが、文化元年(1804年)には舞台に復帰し京や大阪の舞台を勤める。その四年後中風に罹り、役者を引退した。

その芸風は写実で淡白、小柄ながら上品だったという。実子に二代目尾上鯉三郎がいる。

参考文献

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  • 野島寿三郎編 『歌舞伎人名事典』(新訂増補) 日外アソシエーツ、2002年