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小金井桜州

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小金井桜洲から転送)

小金井 桜州(こがねい おうしゅう)は、講釈師名跡

  • 初代小金井桜州 - 後∶五代目神田伯山
  • 二代目小金井桜州 - 本名∶谷田部キチシロウ、甲州谷村の魚屋の倅。四代目小金井芦州が疎開していたとき、谷田部の父に世話になった御礼に息子に名前を贈った。高座の経験はない。
  • 三代目小金井桜州 - 本項にて記述
  • 四代目小金井桜州 - 現∶四代目宝井琴柳

三代目 小金井こがねい 桜州おうしゅう
本名 上野 正吉
生年月日 1877年11月1日
没年月日 (1961-06-14) 1961年6月14日(83歳没)
出身地 日本の旗 日本東京府東京市浅草区
死没地 日本の旗 日本東京都新宿区
師匠 大島小伯鶴
四代目小金井芦州
四代目宝井馬琴
名跡 1. 鶴葉
2. 南船北馬
3. 西尾慶昇
4. 宝井馬秀
5. 小金井馬秀
(? - 1950年)
6. 五代目小金井芦州
(1950年 - 1958年)
7. 三代目小金井桜州
(1958年 - 1961年)
活動期間 - 1961年

三代目 小金井 桜州1877年11月1日 - 1961年6月14日)は、講談師。本名∶上野 正吉

経歴

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東京浅草の生まれ、長らく化粧品店を営んでいた。

30代のころは鶴葉といった。40歳という中年から大島小伯鶴の門で南船北馬、四代目小金井芦州の門へ移り西尾慶昇、四代目宝井馬琴に預けられ宝井馬秀、小金井馬秀を経て1950年に新宿末広亭の北村銀太郎の尽力[1]で、五代目小金井芦州を襲名。1958年、四代目芦州の家族から苦情[2]で名跡を返上し、三代目小金井桜州に改名。

1961年6月、脳出血のため新宿病院で死去。83歳没。

演目

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「半七捕物帳」「藪原検校」「塩原多助」などを得意とした。

脚注

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  1. ^ koganei-rosyu. “54-1.「三代目小金井桜州」通称桜州爺さん”. 小金井芦州啖呵を切る. 2023年12月5日閲覧。
  2. ^ 法事や墓参りもしなかった