小金井桜州
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(小金井桜洲から転送)
- 初代小金井桜州 - 後∶五代目神田伯山
- 二代目小金井桜州 - 本名∶谷田部キチシロウ、甲州谷村の魚屋の倅。四代目小金井芦州が疎開していたとき、谷田部の父に世話になった御礼に息子に名前を贈った。高座の経験はない。
- 三代目小金井桜州 - 本項にて記述
- 四代目小金井桜州 - 現∶四代目宝井琴柳
三代目 | |
本名 | 上野 正吉 |
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生年月日 | 1877年11月1日 |
没年月日 | 1961年6月14日(83歳没) |
出身地 | 日本・東京府東京市浅草区 |
死没地 | 日本・東京都新宿区 |
師匠 | 大島小伯鶴 四代目小金井芦州 四代目宝井馬琴 |
名跡 | 1. 鶴葉 2. 南船北馬 3. 西尾慶昇 4. 宝井馬秀 5. 小金井馬秀 (? - 1950年) 6. 五代目小金井芦州 (1950年 - 1958年) 7. 三代目小金井桜州 (1958年 - 1961年) |
活動期間 | - 1961年 |
三代目 小金井 桜州(1877年11月1日 - 1961年6月14日)は、講談師。本名∶上野 正吉。
経歴
[編集]東京浅草の生まれ、長らく化粧品店を営んでいた。
30代のころは鶴葉といった。40歳という中年から大島小伯鶴の門で南船北馬、四代目小金井芦州の門へ移り西尾慶昇、四代目宝井馬琴に預けられ宝井馬秀、小金井馬秀を経て1950年に新宿末広亭の北村銀太郎の尽力[1]で、五代目小金井芦州を襲名。1958年、四代目芦州の家族から苦情[2]で名跡を返上し、三代目小金井桜州に改名。
1961年6月、脳出血のため新宿病院で死去。83歳没。
演目
[編集]「半七捕物帳」「藪原検校」「塩原多助」などを得意とした。
脚注
[編集]- ^ koganei-rosyu. “54-1.「三代目小金井桜州」通称桜州爺さん”. 小金井芦州啖呵を切る. 2023年12月5日閲覧。
- ^ 法事や墓参りもしなかった