小網町停留場
小網町停留場 | |
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停留場の様子 | |
こあみちょう Koami-cho | |
◄M13 土橋 (0.2 km) (0.3 km) 天満町 M15► | |
所在地 | 広島市中区堺町二丁目 |
駅番号 | ●M14 |
所属事業者 | 広島電鉄 |
所属路線 | ■本線 |
キロ程 | 3.6 km(広島駅起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗降人員 -統計年度- |
961[1]人/日 -2019年- |
開業年月日 | 1912年(大正元年)12月8日 |
小網町停留場(こあみちょうていりゅうじょう、小網町電停)は、広島県広島市中区堺町二丁目にある、広島電鉄本線の路面電車停留場である。駅番号はM14。
所在地の道路幅が15メートルと狭いため、柵で区分されたホームがなく、路面と道路端の電柱に停留場であることが示されているだけの、広島市内の路面電車では唯一の「平面電停」である[2]。道が狭いため観音町停留場から小網町停留場までは、時速30kmで走行する[要出典]。
歴史
[編集]小網町停留場は1912年(大正元年)12月、本線が紙屋町から己斐までの区間を開通させたのと同日に開設された[3]。太平洋戦争下の1944年(昭和19年)からは休止されたが、広島市への原子爆弾投下直後の路線復旧に合わせて、1945年(昭和20年)8月15日に営業を再開している[3]。
隣の土橋停留場とは200メートルほどと近く、前述・後述の通り停留場の構造が簡素であることから、1970年代[2]には廃止が検討されたことがあった[4]が、周辺住民の要望で存続した[2]。
年表
[編集]停留場構造
[編集]本線はほぼ全ての区間で道路上に軌道が敷かれた併用軌道で、当停留場も道路上に乗り場が表示されている。ただし当停留場付近は道幅が狭く、軌道の両脇とも1車線分しか幅がないために安全地帯となるホームが設けられず、道路上に白線で縁取られた黄緑色のゾーンがあり、そこを乗り場としている[2][4][6]。このようなホームのない平面停留場は広島電鉄では唯一である[2][4]。
ここで降車する乗客には車内放送で「ホームのない平面電停です」として、段差に注意するよう呼びかけられている[2](外部リンク先も参照)。乗車時は道路端で待ち、電車到着時に乗り場へ渡る[2]。
乗り場は上下2面あり、東西方向に伸びる2本の線路を挟み込むように向かい合わせに配置されている[7](相対式)。線路の北側に広島駅方面へ向かう上りの乗り場が、南側に広電西広島駅方面へ向かう下りの乗り場がある[7]。上りの乗り場側には掲示物の適切な掲示場所がないため、下りの乗り場側にある電柱に上下両方面の時刻表や、電停名標、路線図を掲示している。
運行系統
[編集]本線には広島電鉄が運行する全ての系統が乗り入れているが、このうち当停留場には2号線、3号線、それに0号線が乗り入れる。
上り乗り場 | 広島駅ゆき | ||
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日赤病院前ゆき | |||
広電本社前ゆき | |||
下り乗り場 | 広電宮島口ゆき | ||
広電西広島ゆき |
停留場周辺
[編集]停留場のすぐ西には天満川が流れ、本線は広電天満橋にて渡河する。この橋は広島電鉄で唯一現存する電車専用橋である[4]。南方には平和大通りが通じている。
隣の停留場
[編集]脚注
[編集]- ^ “広島県 駅乗降客数”. 2021年3月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g [気になるスポット]広島路面電車、唯一の平面駅『日本経済新聞』夕刊2023年4月27日くらしナビ面(2023年5月18日閲覧)
- ^ a b c d e f 『広電が走る街 今昔』150-157頁
- ^ a b c d 『広電が走る街 今昔』58-59頁
- ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』広島電鉄、2012年、431頁。
- ^ 川島令三『全国鉄道事情大研究』 中国篇 2、草思社、2009年、104頁。ISBN 978-4-7942-1711-0。
- ^ a b 川島令三『山陽・山陰ライン 全線・全駅・全配線』 第7巻 広島エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2012年、13・77頁。ISBN 978-4-06-295157-9。
参考文献
[編集]- 長船友則『広電が走る街 今昔』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年。ISBN 4-533-05986-4。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 小網町 | 電車情報:電停ガイド - 広島電鉄