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小笠原寿長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小笠原恒から転送)
小笠原寿長

小笠原 寿長(壽長、おがさわら ひさなが、1854年9月19日(安政元年7月27日[1])- 1927年昭和2年)10月[2])は、明治期の警察官政治家華族貴族院子爵議員。旧姓・細川[1]

経歴

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肥後宇土藩主・細川行芬の九男として生まれる[1]。旧豊前小倉新田(千束)藩主家当主・小笠原愛子(小笠原貞哲五女)の入夫となり、1876年(明治9年)5月24日に家督を継承[1]1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[3]

1875年(明治8年)司法省出仕となる[2]。以後、大蔵省御用掛、大蔵属、陸軍省出仕、熊本県警部福岡県警部、宮崎県警部、延岡裁判所書記、宮崎裁判所書記などを歴任した[2]

1891年(明治24年)12月5日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[4][5]1902年(明治35年)8月9日に辞職するまで2期在任した[2][6][7]。同年8月12日、小笠原家と離縁となり、同年8月28日、息子の恒が子爵を襲爵した[2][8]

このほか1899年(明治32年)の東京市会議員選挙に牛込区から立候補して当選した[9]

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 上巻』342-343頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』38頁。
  3. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
  4. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、4頁。
  5. ^ 『官報』第2534号、明治24年12月9日。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、11頁。
  7. ^ 『官報』第5732号、明治35年8月12日。
  8. ^ 『官報』第5747号、明治35年8月29日。
  9. ^ 制限選挙期における東京市会議員総選挙の結果について(櫻井良樹)
  10. ^ 小笠原恒『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]

参考文献

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  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
叙爵
子爵
千束小笠原家初代
1884年 - 1902年
次代
小笠原恒