堀越哲二
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(小池哲二から転送)
堀越 哲二(ほりこし てつじ、1948年2月7日 - )は、日本の元・学校経営者。群馬県に本部を持つ学校法人堀越学園の元理事長、創造学園大学の元学長。高崎保育専門学校元学校長、高崎医療技術福祉専門学校元学校長、元堀越幼稚園長、創造学園大学附属高等学校元校長。なお、小池哲二(こいけ てつじ)、小池大哲(こいけ だいてつ)、堀越大哲とも名乗っていた[1]。
経歴
- 1948年(昭和23年)2月7日生まれ。旧姓、小池哲二。
- 1966年(昭和41年) - 小樽商科大学入学[2]。
- 1970年(昭和45年) - 小樽商科大学卒業。同年大阪府吹田市役所入職。
- 1977年(昭和52年) - 事務局長を経て、堀越学園理事就任[3]。
- 1980年(昭和55年)- 渡米し、ピアニストのエルヴィン・ニレジハジと面会、来日公演を実現させる[4][5][6]。
- 1981年(昭和56年)- 高崎短期大学開学と同時に副学長就任[3]。
- 1992年(平成4年) - 政党「発明政治」(代表・ドクター中松)より第16回参議院議員通常選挙比例選挙区から立候補、落選。
- 2002年(平成14年) - 堀越家の養子となる[3]。
- 2004年(平成16年) - 創造学園大学開学により学長就任。
- 2006年(平成18年) - 堀越久良の死去により堀越学園理事長就任。第14代堀越久左衛門家当主を引き継ぐ[7]。
- 2011年(平成23年) - 一連の不祥事の責任を取って堀越学園理事長を辞任[8]。
- 2012年(平成24年) - 経営悪化の責任などを理由に創造学園大学学長を解任され、学園理事も失職[9]。また、学長と兼任していた創造学園大学教授の職も解雇される[10]。11月30日には横領容疑で逮捕される[11]。
- 2013年(平成25年) - 書類偽造で再逮捕[12]。
- 2016年(平成28年) - 2月16日、破産法違反などの罪で実刑が確定[13]。前述の横領の罪の執行猶予も取り消され、合計6年4ヶ月の懲役刑となった。
大学での授業
- 尺八[14]
名前について
- 小池哲二(旧本名)
- 小池大哲(旧本名時代の出家名)
- 堀越哲二(現在の本名)
- 堀越大哲(学長名、理事長名)
その他
本人によると、高校時代1年以上不登校生徒であり、赤面恐怖症、統合失調症に近かったと告白している[15]。
参考文献
脚注
- ^ 全国大学職員録私立大学編、p.156
- ^ 全国大学職員録私立大学編、p.155
- ^ a b c “堀越学園:大島氏側・堀越氏側、歩み寄りの気配なく 学長室支配巡り”. 毎日新聞(地方版・群馬). (2012年7月31日) 2012年10月26日閲覧。
- ^ “晩鐘(1980-1987) アーヴィン・ニレジハージ: スラムへ消えた天才ピアニスト”. fugue.us. 2021年1月17日閲覧。
- ^ “本館落成記念演奏会記念講演会 '80年5月31日(土)6月1日(日)”. fugue.us. 2021年1月17日閲覧。
- ^ 小池哲二「ニレジハージ日本公演実現の経緯」 “”幻のピアニスト”アルヴィン・ニレジハージ作品世界初演 (プログラム)pp.16”. fugue.us. 2021年1月17日閲覧。
- ^ “邦楽の友メールマガジン第238号”. 邦楽の友社 (2006年7月7日). 2012年10月26日閲覧。
- ^ “堀越学園理事長が辞任 後任に中国籍の王氏 一連の混乱で引責”. 読売新聞(東京朝刊・群馬西): p. 35. (2011年1月26日) - ヨミダス歴史館にて閲覧
- ^ “創造学園大学長解任”. 読売新聞(東京朝刊): p. 37. (2012年1月11日) - ヨミダス歴史館にて閲覧
- ^ “堀越学長解任 「再生期待」「反撃心配」 学園関係者 反応分かれる”. 読売新聞(東京朝刊・群馬西): p. 35. (2012年1月11日) - ヨミダス歴史館にて閲覧
- ^ “堀越学園元理事長が横領で逮捕――群馬県警の初動捜査に疑義”. 週刊金曜日オンライン (2012年12月19日). 2021年1月17日閲覧。
- ^ 堀越学園の元理事長らを書類偽造で再逮捕 毎日新聞、2013年12月4日、
- ^ 堀越学園元理事長 実刑確定へ 最高裁上告棄却 上毛新聞 2016年2月18日
- ^ 危ないと言われつつ意外と潰れない大学」記事・ランキングを徹底検証 週刊東洋経済「危ない私大」記事・ランキングを徹底検証~不快感示す大学、東経記者は否定(2018.3.12アクセス)
- ^ 創造学園大学附属高等学校機関紙「創才」2008年(平成20年)第24号。