コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

大坪政士

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小倉政士から転送)
大坪 政士 Portal:陸上競技
選手情報
ラテン文字 Masashi OTSUBO [1]
国籍 日本の旗 日本
競技 陸上競技(跳躍競技)
種目 棒高跳
所属 日立製作所
大学 中央大学
生年月日 (1938-06-18) 1938年6月18日(86歳)
自己ベスト
棒高跳 4.70 m (1964年)
編集 テンプレートのヘルプを表示する

大坪 政士(おおつぼ まさし、1938年6月18日 - )は、日本の陸上競技選手。1964年東京オリンピックで男子棒高跳に出場。その後、姓は小倉となっている[2]

経歴

[編集]

千葉県木更津市桜井出身[3]木更津市立木更津第二中学校1年生の時に、校内のマラソン大会で優勝したことから陸上競技を始めたという[2]千葉県立木更津高等学校に進むと棒高跳で頭角を現し、3年生時の全国高等学校総合体育大会(インターハイ)で優勝した[2]

中央大学に進み[4]、1959年に日本陸上競技選手権大会の棒高跳で4m20を跳び[4]、同記録の安田矩明をかわして[5]優勝した。

卒業後は日立製作所に属した[4]東日本実業団陸上競技選手権では第3回大会から第6回大会まで4回連続優勝[6]。うち、第5回大会(1963年)で跳んだ4m65は当時の日本記録であった[7]。1964年に日本選手権で4m70を跳び、自らの日本記録を更新して[2][7]2度目の優勝を果たしている[4]

1964年東京オリンピックで男子棒高跳に出場[8][2][注釈 1]。予選を突破することはできず、現役最後の舞台となった[2]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 棒高跳には、盛田久生および鳥居義正(東教大)とともに3選手で出場した。盛田は大坪と同じ日立の所属である。なお、東京五輪には同じ県立木更津高校出身者の岡崎高之が三段跳に出場している[9]

出典

[編集]
  1. ^ Japanese Delegation of Athletics Team : Rio de Janeiro 2016」(PDF)、日本陸上連盟、2016年、2020年10月7日閲覧 
  2. ^ a b c d e f “五輪がつなぐ夢 1964-2020/3 東京・棒高跳び 小倉(旧姓・大坪)政士さん(77)/千葉”. (2016年1月5日). https://mainichi.jp/articles/20160105/ddl/k12/050/124000c 2020年10月7日閲覧。 
  3. ^ 桜井よもやま話”. 木更津市 (2020年10月2日). 2020年10月7日閲覧。
  4. ^ a b c d 過去の優勝者・記録 男子棒高跳”. 第103回日本陸上競技選手権大会. 日本陸上競技連盟 (2019年). 2020年9月24日閲覧。
  5. ^ 小差と大差の優勝・歴代5傑” (pdf). 日本陸上競技連盟. 2020年10月7日閲覧。
  6. ^ 東日本実業団陸上競技選手権大会 歴代記録 棒高跳 男子”. 東日本実業団陸上競技連盟. 2020年10月7日閲覧。
  7. ^ a b 歴代最高記録”. 棒高跳びビレッジ. JTS. 2020年10月7日閲覧。
  8. ^ Masashi Otsubo Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年1月4日閲覧。
  9. ^ 教室博日記 No.1777”. 千葉県立中央博物館 房総の山のフィールド・ミュージアム (2020年2月22日). 2020年10月7日閲覧。

関連項目

[編集]