大坪政士
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(小倉政士から転送)
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選手情報 | ||||
ラテン文字 | Masashi OTSUBO [1] | |||
国籍 | 日本 | |||
競技 | 陸上競技(跳躍競技) | |||
種目 | 棒高跳 | |||
所属 | 日立製作所 | |||
大学 | 中央大学 | |||
生年月日 | 1938年6月18日(86歳) | |||
自己ベスト | ||||
棒高跳 | 4.70 m (1964年) | |||
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大坪 政士(おおつぼ まさし、1938年6月18日 - )は、日本の陸上競技選手。1964年東京オリンピックで男子棒高跳に出場。その後、姓は小倉となっている[2]。
経歴
[編集]千葉県木更津市桜井出身[3]。木更津市立木更津第二中学校1年生の時に、校内のマラソン大会で優勝したことから陸上競技を始めたという[2]。千葉県立木更津高等学校に進むと棒高跳で頭角を現し、3年生時の全国高等学校総合体育大会(インターハイ)で優勝した[2]。
中央大学に進み[4]、1959年に日本陸上競技選手権大会の棒高跳で4m20を跳び[4]、同記録の安田矩明をかわして[5]優勝した。
卒業後は日立製作所に属した[4]。東日本実業団陸上競技選手権では第3回大会から第6回大会まで4回連続優勝[6]。うち、第5回大会(1963年)で跳んだ4m65は当時の日本記録であった[7]。1964年に日本選手権で4m70を跳び、自らの日本記録を更新して[2][7]2度目の優勝を果たしている[4]。
1964年東京オリンピックで男子棒高跳に出場[8][2][注釈 1]。予選を突破することはできず、現役最後の舞台となった[2]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 「Japanese Delegation of Athletics Team : Rio de Janeiro 2016」(PDF)、日本陸上連盟、2016年、2020年10月7日閲覧。
- ^ a b c d e f “五輪がつなぐ夢 1964-2020/3 東京・棒高跳び 小倉(旧姓・大坪)政士さん(77)/千葉”. (2016年1月5日) 2020年10月7日閲覧。
- ^ “桜井よもやま話”. 木更津市 (2020年10月2日). 2020年10月7日閲覧。
- ^ a b c d “過去の優勝者・記録 男子棒高跳”. 第103回日本陸上競技選手権大会. 日本陸上競技連盟 (2019年). 2020年9月24日閲覧。
- ^ “小差と大差の優勝・歴代5傑” (pdf). 日本陸上競技連盟. 2020年10月7日閲覧。
- ^ “東日本実業団陸上競技選手権大会 歴代記録 棒高跳 男子”. 東日本実業団陸上競技連盟. 2020年10月7日閲覧。
- ^ a b “歴代最高記録”. 棒高跳びビレッジ. JTS. 2020年10月7日閲覧。
- ^ “Masashi Otsubo Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年1月4日閲覧。
- ^ “教室博日記 No.1777”. 千葉県立中央博物館 房総の山のフィールド・ミュージアム (2020年2月22日). 2020年10月7日閲覧。