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寺町停留場

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寺町駅から転送)
寺町停留場*
停留場全景(手前が十日市町方面ホーム)
てらまち
Tera-machi
Y1 十日市町 (0.4 km)
(0.4 km) 別院前 Y3
地図
所在地 広島市中区十日市町二丁目・寺町
北緯34度24分3.11秒 東経132度26分53.28秒 / 北緯34.4008639度 東経132.4481333度 / 34.4008639; 132.4481333座標: 北緯34度24分3.11秒 東経132度26分53.28秒 / 北緯34.4008639度 東経132.4481333度 / 34.4008639; 132.4481333
駅番号 Y2
所属事業者 広島電鉄
所属路線 横川線
キロ程 0.4 km(十日市町起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度-
870[1]人/日
-2019年-
開業年月日 1917年大正6年)11月1日
  • * 改称経歴-
  • 開業時:西の小路停留場
  • 1921年以前:寺町裏停留場
  • 1965年:寺町停留場
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寺町停留場(てらまちていりゅうじょう、寺町電停)は、広島県広島市中区十日市町二丁目および寺町にある広島電鉄横川線路面電車停留場である。駅番号はY2

歴史

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当停留場は横川線が開通した1917年大正6年)に開業した[2]。開業当時の停留場名は西の小路停留場(西ノ小路停留場[3]、にしのこうじていりゅうじょう)で、これは横川線の軌道が西の小路と呼ばれる細街路と交差していたことに由来する[4]。当時の横川線の軌道は道路から軌道敷が独立した専用軌道であり、雲石街道の西側に敷かれていた[4]。停留場の北側の街道沿いには寺院が立ち並び、軌道はその裏手を抜けていたため[4]、停留場名は1921年(大正10年)ころ寺町裏停留場(てらまちうらていりゅうじょう)へと改称された[3][5]。専用軌道であった横川線はその後、都市計画道路の建設により1938年(昭和13年)に併用軌道化されている[6]

1945年(昭和20年)8月6日原爆投下により横川線をはじめ広島電鉄の市内電車は全線が休止されるが、当停留場を含む十日市町 - 別院前間は同年末に運転を再開している[2]。寺町停留場と改称されたのは1965年(昭和40年)のことである[2]。なお、軌道が敷かれている電車通りは戦後の都市計画により拡幅されてかつての雲石街道より大規模な道となったほか、かつて西の小路と呼ばれた細街路も城南通りの一部となり広島市のメインストリートへと変貌している[4]

年表

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停留場構造

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横川線の軌道は道路上に敷かれた併用軌道であり、当停留場も道路上にホームが置かれている。ホームは低床式で2面あり、南北方向に伸びる2本の線路を挟み込むように配置されている[7][8]。ただし互いのホーム位置は斜向かいに離れていて、北に横川駅方面へ向かう下りホーム、南に十日市町方面へ向かう上りホームがある[7][8]

運行系統

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当停留場には広島電鉄で運行されている系統のうち、7号線と8号線が乗り入れている。

下りホーム 8号線8号線 横川駅ゆき
上りホーム 7号線 広島港ゆき
7号線 広電本社前ゆき
8号線 江波ゆき

停留場周辺

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付近はおおむね住宅街である。西にしばらく行くと天満川、東にしばらく行くと本川が流れる。北隣の別院前停留場まで東側一帯に寺院が立ち並ぶ。

南西には広瀬神社が鎮座しており、1942年(昭和17年)までは当停留場の南隣に広瀬神社停留場(ひろせんじんじゃていりゅうじょう)が存在していた[2][4][9]

隣の停留場

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広島電鉄
横川線
十日市町停留場 (Y1) - 寺町停留場 (Y2) - 別院前停留場 (Y3)

脚注

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  1. ^ 広島県 駅乗降客数”. 2021年3月11日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 『広電が走る街 今昔』150-157頁
  3. ^ a b c 『日本鉄道旅行地図帳』38頁
  4. ^ a b c d e 『広電が走る街 今昔』104-105頁
  5. ^ 『広電が走る街 今昔』105頁では昭和4年(1929年)ころ、同書156頁では昭和2年(1927年)ころとする。
  6. ^ 『広電が走る街 今昔』108頁
  7. ^ a b 川島令三『山陽・山陰ライン 全線・全駅・全配線』 第7巻 広島エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2012年、13,83頁。ISBN 978-4-06-295157-9 
  8. ^ a b 川島令三『全国鉄道事情大研究』 中国篇 2、草思社、2009年、103,107頁。ISBN 978-4-7942-1711-0 
  9. ^ 『日本鉄道旅行地図帳』では廃止前の1935-37年までの間に広瀬町停留場(ひろせちょうていりゅうじょう)に改称したとする。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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