寺沢弘子
表示
(寺沢ひろ子から転送)
てらさわ ひろこ 寺沢 弘子 | |
---|---|
別名義 |
寺沢 ひろ子 寺沢 広美(てらさわ ひろみ) |
生年月日 | 1929年 |
出生地 | 日本 佐賀県 |
職業 | 元俳優 |
ジャンル | 劇映画(時代劇・現代劇、特撮映画、トーキー) |
活動期間 | 1951年 ‐ 1966年 |
配偶者 | 越後憲(死別) |
主な作品 | |
『大怪獣バラン』 |
寺沢 弘子(てらさわ ひろこ[1]、1929年[2] - )は、日本の元女優。別名は寺沢 ひろ子(読みは同じ)[3][2]、寺沢 広美(てらさわ ひろみ)[3][2]。佐賀県出身[2]。夫は東宝専属俳優の越後憲三[1]。
来歴・人物
[編集]福岡県の小学校教諭を経て、1951年に藤田進のスカウトにより東宝の専属女優になり、数多くの作品に出演した[2][注釈 1]。
その後、同じく専属俳優であった越後憲三と結婚し女優を引退した[2]。
エピソード
[編集]『ゴジラ』(1954年)で遠方ロケーションに参加して以来、「ロケ女」と称されるほど多くのロケに参加した[2]。ものをはっきりいう性格であったため、一部からは使いづらいとも言われていた[2]。
『七人の侍』の撮影では、山賊の馬に乗せられるシーンで足を負傷してしまい、現場の厳しさを痛感するとともに、監督の黒澤明にも苦手意識を持つようになったという[2]。一方で、『ゴジラ』では初めてのロケであったが監督の本多猪四郎から気遣われ、船での移動の際に船酔いし意識を失った際も、気づいた後に助監督から本多が「心配しないで」とゆっくり休むよう述べていたことを伝えられ、こんなに優しい監督がいるのかと感動したという[2]。
出演作品
[編集]東宝
[編集]全て製作・配給は「東宝」、特筆以外は全て「寺沢弘子」名義である。
- 『さらばラバウル』(『さらばラバウル 最後の戰闘機』):監督本多猪四郎、1954年2月10日公開 - 酒場の女給[2]
- 『坊ちゃん社員』:監督山本嘉次郎、1954年3月3日公開
- 『続・坊ちゃん社員』:監督山本嘉次郎、1954年4月7日公開
- 『七人の侍』:監督黒澤明、1954年4月26日公開 - 村の娘[2]
- 『ゴジラ』:監督本多猪四郎、1954年11月3日公開 - 大戸島の娘[1][注釈 2]
- 『浮雲』:監督成瀬巳喜男、1955年1月15日公開 - 伊香保の芸者[2]
- 『へそくり社員とワンマン社長 ワンマン社長純情す』:監督小田基義、1956年9月5日公開
- 『憎いもの』:監督丸山誠治、1957年5月28日公開
- 『大怪獣バラン』:監督本多猪四郎、1958年10月14日公開 - 部落の女[3][1][注釈 3]
- 『ガス人間第一号』:監督本多猪四郎、1960年12月11日公開 - 銀行員[3][1][注釈 2]
- 『アワモリ君売出す』:監督古澤憲吾、1961年7月30日公開 - 農家の女A[注釈 4]
- 『猫と鰹節 ある詐話師の物語』:監督堀川弘通、1961年11月22日公開 [注釈 4]
- 『女難コースを突破せよ』:監督筧正典、1962年4月1日公開 [注釈 4]
- 『ニッポン無責任時代』:監督古澤憲吾、1962年7月29日公開 - 芸者[3][1][注釈 4]
- 『若い娘がいっぱい』:監督筧正典、1966年4月3日公開[注釈 4]
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 洋泉社MOOK 別冊映画秘宝(洋泉社)
- 『別冊映画秘宝 モスラ映画大全』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2011年8月11日。ISBN 978-4-86248-761-2。
- 『別冊映画秘宝 初代ゴジラ研究読本』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2014年8月24日。ISBN 978-4-8003-0452-0。