富士テクニカ宮津
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(富士テクニカから転送)
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | |
略称 | 富士テク宮 |
本社所在地 |
日本 〒411-0915 静岡県駿東郡清水町的場20番地 |
設立 |
1962年4月28日 (株式会社富士鉄工所) |
業種 | 機械 |
法人番号 | 2080101006168 |
事業内容 |
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代表者 | 代表取締役社長 長谷川浩 |
資本金 | 10億円 |
売上高 |
70億1,800万円 (2024年3月期)[1] |
営業利益 |
△4億2,500万円 (2024年3月期)[1] |
経常利益 |
△2億4,600万円 (2024年3月期)[1] |
純利益 |
△1億8,100万円 (2024年3月期)[1] |
純資産 |
22億3,700万円 (2024年3月期)[1] |
総資産 |
79億4,700万円 (2024年3月期)[1] |
従業員数 | 480人(2015年3月31日) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 |
東洋鋼鈑株式会社 100% (2016年5月26日) |
関係する人物 | 和久田俊一 |
外部リンク | https://www.fuji-miyazu.co.jp/ |
株式会社富士テクニカ宮津(ふじテクニカみやづ、英: FUJI TECHNICA & MIYAZU INC.)は、静岡県駿東郡清水町に本社を置く企業である。東洋鋼鈑株式会社の完全子会社。
特色
[編集]企業再生支援機構(現・地域経済活性化支援機構)の支援を受け、日本の金型製造業では当時第2位であった当社に次ぐ第3位の宮津製作所より金型関連事業の事業譲受して経営統合した[2]。
沿革
[編集]- 1957年(昭和32年)2月 - 有限会社富士鉄工所設立。
- 1962年(昭和37年)4月 - 株式会社富士鉄工所改組。
- 1989年(平成元年)10月 - 株式会社富士テクニカに社名変更。
- 1998年(平成10年)3月 - 株式を店頭公開(現在のJASDAQ)。
- 2010年(平成22年)
- 9月 - 企業再生支援機構(2013年3月に地域経済活性化支援機構へ商号変更)の支援決定を受ける。
- 12月16日 - 企業再生支援機構の支援を受ける株式会社宮津製作所より金型関連事業の事業を譲受し、富士テクニカ宮津事業所とする[2]。
- 2011年(平成23年)7月 - 株式会社富士テクニカ宮津に社名変更。
- 2012年(平成24年)
- 3月 - 子会社の株式会社富士テクニカサービスを清算。
- 8月 - 連結子会社の株式会社富士アセンブリシステムの全株式を譲渡。
- 2013年(平成25年)5月23日 - フェニックス・キャピタル傘下のフェニックス・キャピタル・パートナーズ・ナイン投資事業有限責任組合及びフェニックス・キャピタル・パートナーズ・イレブン株式会社による株式公開買付けの結果、フェニックス・キャピタルグループが議決権所有割合で78.2%の株式を取得し親会社となる。地域経済活性化支援機構は保有全株式を株式公開買付けに応募し、親会社でなくなる[3]。
- 2014年(平成26年)6月26日 - 連結財務諸表における子会社及び関連会社の範囲の決定に関する適用指針16項(4)の適用により、フェニックス・キャピタルグループが親会社以外の支配株主になる[4]。
- 2016年(平成28年)
所在地
[編集]製品
[編集]- 自動車用プレス金型
- 自動車用溶接治具
関係会社
[編集]- 烟台富士沃森技術有限公司
- 富士テクニカ宮津アメリカ社
- 富士テクニカ宮津フランス社
- フジテクニカインドネシア社
- 宮津マレーシア社
- 烟台三井富士汽車模具有限公司
- 富士瑞鵠技研(蕪湖)有限公司
脚注・出典
[編集]- ^ a b c d e f 株式会社富士テクニカ宮津 第68期決算公告
- ^ a b “2010年 重大ニュース(7)製造業の撤退・再編 不況に円高が拍車”. 上毛新聞(上毛新聞社). (2010年12月21日)
- ^ 当社株券に対する公開買付けの結果並びに親会社及び主要株主である筆頭株主の異動に関するお知らせ
- ^ 親会社の異動等に関するお知らせ
- ^ 東洋鋼鈑株式会社による当社株券等に対する公開買付けに関する意見表明のお知らせ
- ^ 親会社、親会社以外の支配株主、その他の関係会社及び主要株主である筆頭株主の異動に関するお知らせ
- ^ 東洋鋼鈑株式会社による当社株券等に対する公開買付け(第二回)の結果に関するお知らせ
- ^ 東洋鋼鈑株式会社による当社株式に係る株式売渡請求を行うことの決定、当該株式売渡請求に係る承認及び当社株式の上場廃止に関するお知らせ