宮崎鏋三郎
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宮崎 鏋三郎(みやざき まんざぶろう、1856年11月26日〈安政3年10月29日[1][注 1]〉- 1906年〈明治39年〉10月22日[1][2])は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員。旧姓・岸[1]。
経歴
[編集]武蔵国足立郡与野町(のち埼玉県北足立郡与野町、現:さいたま市中央区)で、岸左右蔵、いす夫妻の七男として生まれ、1878年、母方の宮崎家を継承[1]。法律学を修め、代言人、浦和組合弁護士となる[1][2]。
1902年8月、第7回衆議院議員総選挙で埼玉県選挙区から立憲政友会所属で出馬して当選[1][2]。第8回総選挙には無所属で出馬して当選し、衆議院議員を連続二期務めた[1][2]。病気療養のため政界を引退し[1]、1906年10月、肺炎のため死去した[3]。
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『埼玉人物事典』777頁には「安政5年」と表記されているが西暦の表記は「1856年」であるので「安政3年」の誤植と判断。なお『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』629頁では「安政3年10月」、『立憲政友会功労者追遠録』447頁では「安政3年11月」。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 埼玉県教育委員会編『埼玉人物事典』埼玉県、1998年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。
- 青野権右衛門編『立憲政友会功労者追遠録』安久社、1933年。