岩手県立宮古病院
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(宮古共済堂病院から転送)
岩手県立宮古病院 | |
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情報 | |
英語名称 | Iwate Prefectural Miyako Hospital |
前身 |
宮古共済病院 宮古共済堂病院→日本医療団宮古奨健寮 |
標榜診療科 | 内科、血液内科、精神科、呼吸器科、循環器科、消化器科、神経内科、小児科、外科、整形外科、脳神経外科、形成外科、眼科、耳鼻咽喉科、皮膚科、泌尿器科、産婦人科、リハビリテーション科、放射線科、麻酔科(ペインクリニック) |
許可病床数 |
276床 一般病床:267床 感染症病床:4床 結核病床:5床 |
機能評価 | 一般200床以上500床未満:Ver6.0 |
開設者 | 岩手県 |
管理者 | 村上 晶彦(院長) |
地方公営企業法 | 全部適用 |
開設年月日 | 1950年11月 |
所在地 |
〒027-0096 |
位置 | 北緯39度39分32秒 東経141度56分53秒 / 北緯39.65889度 東経141.94806度座標: 北緯39度39分32秒 東経141度56分53秒 / 北緯39.65889度 東経141.94806度 |
二次医療圏 | 宮古 |
PJ 医療機関 |
岩手県立宮古病院(いわてけんりつみやこびょういん)は、岩手県宮古市に所在し、岩手県が運営する病院である。宮古保健医療圏(宮古市、下閉伊郡岩泉町、山田町、田野畑村)の災害拠点病院であり、DMATチームも有する。また、地域がん診療連携拠点病院でもある。なお、内科、外科の診療を行う岩手県立宮古病院附属重茂(おもえ)診療所が併設されている[注釈 1]。
沿革
[編集]- 1950年11月 - 地元住民の組合出資による「宮古共済病院」と、宮古共済病院を退職した医師による個人経営の宮古共済堂病院を1944年4月に日本医療団が買収した「宮古奨健寮」が岩手県に移管され、それぞれ岩手県立宮古共済病院、岩手県立宮古地方病院として開院した。
- 1959年4月 - 宮古共済病院と宮古地方病院を統合し、岩手県立宮古病院となった。
- 1960年4月1日 - 地方公営企業法全部適用。
- 1992年6月 - 宮古駅前・栄町から現在地に移転。
- 2016年10月 - 地域医療支援病院の指定を受けた。
診療科
[編集]医療機関の指定等
[編集]- 保険医療機関
- 救急告示医療機関
- 労災保険指定医療機関
- 指定自立支援医療機関(更生医療・育成医療)
- 身体障害者福祉法指定医の配置されている医療機関
- 生活保護法指定医療機関
- 結核指定医療機関
- 指定養育医療機関
- 戦傷病者特別援護法指定医療機関
- 原子爆弾被害者医療指定医療機関
- 第二種感染症指定医療機関
- 公害医療機関
- 母体保護法指定医の配置されている医療機関
- 地域災害拠点病院[1]
- 臨床研修指定病院
- がん診療連携拠点病院
- 特定疾患治療研究事業委託医療機関
- 小児慢性特定疾患治療研究事業委託医療機関
- 産科医療補償制度加入機関
交通アクセス
[編集]移転の影響
[編集]岩手県立宮古病院は1992年6月に宮古駅の近くから、宮古市街地からは外れた浜街道の別名を持つ国道45号沿いの崎鍬ケ崎へと移転した。当時から比較的規模の大きな地域の拠点病院であったため、病院職員の通勤者や、それまで通院していた患者や、入院患者の見舞いに訪れていた者で、鉄道を利用する者が減少し、三陸鉄道の乗客が減少する要因の1つとなったとの分析が存在する[2]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 宮古市重茂第1地割37番地1
出典
[編集]- ^ “第 2 章 災害予防計画” (PDF). 岩手県. 2015年8月2日閲覧。
- ^ 冨手 淳 『線路はつながった - 三陸鉄道 復興の始発駅』 p.127、p.129 新潮社 2014年2月25日発行 ISBN 978-4-10-335271-6
関連項目
[編集]- 熊坂義裕 - 岩手県立宮古病院内科医長などを経て、宮古市長に就任。