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浅野安子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
安子女王から転送)
浅野 安子
(安子女王)
安芸国広島藩浅野家
1920年(19歳)
続柄 山階宮菊麿王第1王女子

全名 浅野 安子(あさの やすこ)
身位 女王 →(皇籍離脱
敬称 殿下 →(皇籍離脱)
出生 1901年10月31日
日本の旗 日本東京府東京市
死去 (1974-12-29) 1974年12月29日(73歳没)
日本の旗 日本東京都港区東京慈恵会医科大学附属病院
配偶者 浅野長武
子女 浅野長愛
山階芳正
徳川頼子
父親 山階宮菊麿王
母親 菊麿王妃範子
栄典 勲二等宝冠章
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浅野 安子(あさの やすこ、1901年明治34年〉10月31日 - 1974年昭和49年〉12月29日)は、日本の元皇族華族山階宮菊麿王同妃範子の第1王女子。浅野長武侯爵夫人。旧名は、安子女王(やすこじょおう)。皇籍離脱前の身位女王で、皇室典範における敬称殿下。母・範子は九条家の出身であり、貞明皇后の姪、昭和天皇の母方の従妹、香淳皇后の母方の従姉にあたる。

経歴

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1901年(明治34年)10月31日、山階宮菊麿王のと同妃範子の第1王女子(長女)として誕生する。母・範子妃は安子女王を出産した後に体調を崩し、薨去している。範子妃の死後、菊麿王の後妻である常子妃に兄2人と共に育てられた。1920年大正9年)11月9日、 侯爵(安芸国広島藩浅野長之の長男・浅野長武に降嫁する[1]。その後、1男2女をもうける。1974年昭和49年)12月29日脳軟化症のため、東京慈恵会医科大学附属病院にて死去[1]。73歳没。

栄典

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1920年(大正9年)11月2日 - 勲二等宝冠章[2]

血縁

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脚注

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  1. ^ a b 皇族一覧(山階宮) ― 貴人の黄昏(旧皇族家の人々)”. kyukouzoku.web.fc2.com. 2022年12月25日閲覧。
  2. ^ 『官報』第2477号「叙任及辞令」1920年11月3日。

外部リンク

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