安住實治
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(安住実治から転送)
安住 實治[1](あずみ さねはる、1893年(明治26年)12月25日[2] - 没年不明)は、日本の政治家、会社役員。
経歴
[編集]鳥取県八頭郡那岐村大字奥本(現・智頭町)出身[2]。安住房吉の庶子[2]。家業の農業に従事する[2]。1914年に舞鶴砲兵大隊に入隊し1916年に上等兵に進級、帰休退営する[2]。在郷軍人那岐村分会理事、或いは分会長に就任する[2]。
1929年、砲兵伍長に任官し、また同年に那岐村長に就任、1932年、辞任する[2]。那岐村農会長[3]、自治会長をつとめる[1]。1933年、那岐村会議員に選任される[2]。
那岐運送取締役である[4]。
人物
[編集]那岐村の有力者として知られる[2]。不言実行の人である[1]。1922年に刊行された『八頭鳥取地価表 弐百円以上』によると、地価所有高は「666円32銭」である[5]。宗派は真言宗、極楽寺[2]。
家族
[編集]- 安住家
- 父・房吉[2] - 1912年に刊行された『五百円以上所有者地価表姓名録 因幡の巻』によると、地価所有高は「594円29銭」である[6]。
- 妻・きく(1895年 - ?、智頭町、谷口富次郎の三女)[2]
- 長男[2]
- 長女[2]
- 三女[2]
- 四女[2]
- 五女[2]
脚注
[編集]- ^ a b c 『自治産業発達史』202頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月3日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『因幡人事興信録』784 - 785頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月3日閲覧。
- ^ 『系統農会役職員名簿』300頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月4日閲覧。
- ^ 『官報 1935年08月27日』官報 第2596号15頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月3日閲覧。
- ^ 『八頭鳥取地価表 弐百円以上』96頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月3日閲覧。
- ^ 『五百円以上所有者地価表姓名録 因幡の巻』73頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月3日閲覧。
参考文献
[編集]- 武田寿正『五百円以上所有者地価表姓名録 因幡の巻』横山書店、1912年。
- 『八頭鳥取地価表 弐百円以上』横山書店、1922年。
- 東京日々通信社編『自治産業発達史』東京日日通信社、1931年。
- 帝国農会編『系統農会役職員名簿』帝国農会、1932年。
- 大蔵省印刷局編『官報 1935年08月27日』日本マイクロ写真、1935年。
- 福田信治編『因幡人事興信録』因幡人事興信録発行所、1937年。