子羊の群れキリスト教会
子羊の群れは、イエス・キリストを信じるさんびの群れです。メンバーシップはなく、どなたでも自由に礼拝に参加できます。兵庫県南芦屋浜にある風の教会を中心として、全国、海外各地に家庭集会があります[1]。
子羊の群れキリスト教会の沿革
1969年 ピーター、フィラデルフィアにて独立伝道を始める
1971年 ピーター、フィラデルフィア日本人キリスト教会の牧師となる
(1979年 米国長老教会に属する)
1987年 美津子、聖霊の白いハトに打たれる
1989年 子羊の群れの啓示がピーター、美津子に与えられる
子羊の群れの祈り会が西宮で始まる
1991年 ピーター、フィラデルフィア日本人キリスト教会の牧師を辞任、
ニュージャージーで子羊の群れのミニストリーを始める
1992年 第1回リトリートを関東、関西、九州にて持つ(集会数 7)
1993年 子羊の群れの芦屋会堂ができる (集会数 16)
1995年 阪神大震災
2000年 美津子を通して黙示録さんび(後にハトさんび、天のさんびと呼ぶ)が
与えられ始める
初めてのさんびコンサートを西宮で持つ(集会数 292)
2001年 アメリカ同時多発テロ、平和の祈りとさんびを始める
2003年ニューヨークで海外初めてのさんびコンサートを持つ
文化庁より宗教法人の認可を得る
2005年 ハワイにて初めての世界リトリート開催
2008年 風の教会が建つ、礼拝の同時配信を始める(集会数 501)
2010年 スペインさんびツアー、ジローナ大聖堂とサグラダ・ファミリア地下聖堂、
サンタ・マリア・デル・マール教会でさんびコンサートを持つ
2011年 東日本大震災
風の教会完成後初となる第18回リトリートを神戸ポートピアホールにて持つ
2013年 第2回スペインさんびツアー、サグラダ・ファミリア大聖堂で立体さんびの時
を持つ
2016年 ニューヨーク・リトリート&さんびツアー
いのちの家が建つ
2019年 ハワイ島ヒロにてリトリートを持つ。
何を信じているのか
[編集]私たちは、父なる神、御子イエス・キリスト、聖霊なる三位一体の神を信じます。キリストは十字架によってすべてをあがなってくださいました。復活の主はすべてに働かれており、万事はこの方の愛の中に整えられ、益とされる。それゆえ、私たちは主を信頼し、さんびし、礼拝するだけでよいと信じます。
子羊の群れの基底となるビジョンは、「さんびですべてが完成する」「キリストの愛だけで充分である」ということです。
キリストのビジョンを見ることは、キリスト教というイズム(教義)の主張とは関係ないものです。ビジョンとイズムは、異なります。ビジョンは天から来た生ける啓示ですが、イズムは地で人が築き上げるカタチにすぎません。キリストは生ける愛であり、すべてのものへの救いといやしの力です。
すべてのものは主をほめたたえるために造られました。十字架によって、天上のもの、地上のもの、地の下のもの、すべてのものはキリストのあがないの愛を一つになってほめたたえるものとされています。終末の時とは、愛の時であり、キリストのあがないの全貌が現れる時であると信じます。
礼拝
[編集]子羊の群れは、礼拝がすべてであると信じる群れです。さんびとは、「霊とまことをもって主なる神を拝する」ことであり、さんびの中で主がすべてを整えてくださることを信じます。さんびは歌を歌うだけではなく、一人ひとりが直接主に向かうということです。見えない神が、礼拝のただ中にその姿を現し、すでに完成している十字架のあがないを、すべてのことにおいて現してくださいます。私たちはさんびの教会です。
教会
[編集]教会はギリシャ語で「エクレシア」と言い、神から「呼ばれたものたち」という意味です。一人一人が神の御前に出て、神を礼拝します。イズムに基づく組織としての集団ではありません。
子羊の群れにはメンバーシップがありません。地上の教会組織の一部分となるのではない、私たちは天にある教会に籍があると信じるからです。教会とは天と地、地の下にあるすべてのものが霊とまことをもって主なる神をほめたたえ、さんびする神秘なるキリストのからだです。
みことば
[編集]聖書は神のことばです。学識ある牧師の教えが必要なのではなく、各々が直接主からみことばを学ぶことができると信じます。知性の学びも聖霊が働く限り有⽤ではありますが、知識の積み重ねをもって聖書を理解しているわけではありません。
私たちはたった⼀⼈で主の前に出て、各々のハートにキリスト・イエス様が現されることを何よりも⼤切にします。神のみことばは神に聞く。それを実践するものとして「荒野聖研」があります。また、瞑想のようにイメージを通しての啓⽰を信じますが、各々に神が語られることを絶対のものとして主張することはありません。
いやし
[編集]私たちはキリストのいやしを信じます。十字架のいやしがすべてにおいて完全に成ったことを信じ、身体の病や心のいやし、地のいやしを祈ります。礼拝の中で主のいやしは流れ、さんびのただ中でたくさんの人々があらゆる病気からいやされています。肉体のいやしだけでない、心のいやしはさらに深いものです。
しかし、私たちはいやしにも執着しない。主が最善をされていることを信じるからです。いやされることにもいやされないことにもとらわれず、さんびの中ですべてを神が整えて下さる信仰に立ち、霊とまことをもって神を礼拝します。
洗礼
[編集]子羊の群れでは、キリストを信じた者は、誰でもすぐに洗礼を受けることができます。主は、「わたしはよい羊飼いである。よい羊飼いは、羊のために命を捨てる」と言われました。洗礼は、主ご自身が、「これはわたしの羊である」と宣言して下さる永遠の愛のシールであると信じます。洗礼は、教会への入会式ではありません。教理を理解し、教会への奉仕を決断できた者だけを洗礼するというのは、聖書のどこにも書かれていません。
聖霊の満たし
[編集]イエス・キリストを信じると告白する者は一人残らず、聖霊に満たされています。聖霊に満たされると異言が出る者、倒れる者、泣く者もありますが、そのような現象は関係ありません。キリストを告白するだけでキリストのからだに組み込まれます。さまざまな聖霊の賜物の現れが各々にありますが、すべてはキリストのからだなる神の教会を建て上げるためのものです。聖霊に満たされた確かなしるしは「さんび」です。聖霊はさんびの御霊です。
献金
[編集]献金を通して、天の窓が開かれ、あふれる恵みが注がれるというのは聖書の約束です。子羊の群れには、教会籍や月定献金はありません。礼拝の中で献金をしますが、献金は各々が神に捧げる感謝であり、さんびです。
さんびの中で神がすべての必要を整えて下さる、さんびと祈りの上にキリストのからだは建つ、という信仰に私たちは立っています。