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子供じゃないの

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
子どもじゃないのから転送)
「子供じゃないの」
ヘレン・シャピロシングル
B面 あなたのお側に
("When I'm With You")
リリース
規格 7"
録音 1961年
ジャンル ポップ・ミュージック
レーベル Columbia (EMI)
作詞・作曲 John Schroeder, Mike Hawker
ヘレン・シャピロ シングル 年表
子供じゃないの
("Don't Treat Me Like a Child")
(1961)
悲しきかた想い
("You Don't Know" )
(1961)
テンプレートを表示

子供じゃないの」(Don't Treat Me Like a Child) は、当時14歳だったイギリスの女性歌手ヘレン・シャピロ1961年に出したデビュー・シングルで、楽曲を書いたのはジョン・シュローダー英語版マイク・ホーカー英語版[2]。この曲の録音はEMIレコーディング・スタジオで行われ、マーティン・スラヴィン英語版が指揮する9人編成のバンドが伴奏をした[3]

ヘレンがITVの音楽番組『Thank Your Lucky Stars』に出演したことをきっかけに、レコードの売り上げが跳ね上がり、全英シングルチャートで最高3位に達し、他のヨーロッパ諸国でもおおむね好評を得た[3]

チャート

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チャート(1961年) 最高位
イギリスの旗 全英シングルチャート 3
ニュージーランドの旗 New Zealand Singles Chart[4] 1
アイルランドの旗 Irish Singles Chart[5] 6

日本での受容

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ヘレン・シャピロの日本盤シングルは、「悲しきかた想い」(You Don't Know) をA面とし、B面に「子供じゃないの」が収められた。

日本では、漣健児こと草野昌一がいち早くこの曲の権利を確保して、原曲の歌詞に必ずしも縛られない自由な日本語詞を訳詞として「子供ぢゃないの」を書き、実弟の草野浩二がディレクターを務めた弘田三枝子1961年のデビュー曲とした[6]。曲名の表記は、後に「子供じゃないの」と改められたが[7]、「子どもじゃないの」としても言及されることもある[6]。シングルB面には、「悲しきかた想い」が収められた。弘田盤は1962年1月時点で既に7万枚を売り上げる大ヒットとなった[8]

脚注

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  1. ^ 45cat - Helen Shapiro - Don't Treat Me Like A Child / When I'm With You - Columbia - UK - DB 4589
  2. ^ Leigh, Spencer (2014年7月10日). “Mike Hawker: Songwriter who won an Ivor Novello for 'Walkin' Back To Happiness', and also wrote for Dusty Springfield - Obituary”. The Independent. http://www.independent.co.uk/news/obituaries/mike-hawker-songwriter-who-won-an-ivor-novello-for-walkin-back-to-happiness-and-also-wrote-for-dusty-springfield-9598917.html 2015年1月6日閲覧。 
  3. ^ a b Dowse, Tony (2011). The Ultimate Helen Shapiro. EMI Gold 
  4. ^ Billboard Magazine, Hits of the World, August 1961. https://books.google.com/books?id=HiEEAAAAMBAJ&pg=PA22 2012年9月23日閲覧。 
  5. ^ Billboard Magazine, Hits of the World, August 1961. https://books.google.com/books?id=GSEEAAAAMBAJ&pg=PA26 2012年9月23日閲覧。 
  6. ^ a b 柴田勝章 (2001年6月29日). “弘田三枝子「子供ぢゃないの」(ビバ!ポップス)”. 朝日新聞・夕刊: p. 19. "61年に「子供ぢゃないの」(後に「子どもじゃ…」に統一)でデビューした時は14歳。... テレビの歌番組のオーディションでスカウトされ、東芝レコード(現・東芝EMI)からデビューが決まった。ディレクターは草野浩二。漣健児の名で訳詞を始めていた草野昌一の実弟だ。浩二に頼まれた昌一は、ロンドンから仕入れてきたばかりの、ヘレン・シャピロの「子供じゃないの」を推す。「原題は、もう子供じゃない、という意味だが、中身は弘田のイメージで自由に書いた」。「夜中に帰るとママが」などは元の詞にはなく、「超訳」といわれた。"  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  7. ^ 弘田三枝子-Golden-Double-For-You - Discogs
  8. ^ 「ニュー・アイドル誕生」『新週刊』1962年1月18日号、4頁。NDLJP:3555721/3