子供じゃないの
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(子どもじゃないのから転送)
「子供じゃないの」 | ||||
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ヘレン・シャピロ の シングル | ||||
B面 |
あなたのお側に ("When I'm With You") | |||
リリース | ||||
規格 | 7" | |||
録音 | 1961年 | |||
ジャンル | ポップ・ミュージック | |||
レーベル | Columbia (EMI) | |||
作詞・作曲 | John Schroeder, Mike Hawker | |||
ヘレン・シャピロ シングル 年表 | ||||
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「子供じゃないの」(Don't Treat Me Like a Child) は、当時14歳だったイギリスの女性歌手ヘレン・シャピロが1961年に出したデビュー・シングルで、楽曲を書いたのはジョン・シュローダーとマイク・ホーカー[2]。この曲の録音はEMIレコーディング・スタジオで行われ、マーティン・スラヴィンが指揮する9人編成のバンドが伴奏をした[3]。
ヘレンがITVの音楽番組『Thank Your Lucky Stars』に出演したことをきっかけに、レコードの売り上げが跳ね上がり、全英シングルチャートで最高3位に達し、他のヨーロッパ諸国でもおおむね好評を得た[3]。
チャート
[編集]チャート(1961年) | 最高位 |
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全英シングルチャート | 3 |
New Zealand Singles Chart[4] | 1 |
Irish Singles Chart[5] | 6 |
日本での受容
[編集]ヘレン・シャピロの日本盤シングルは、「悲しきかた想い」(You Don't Know) をA面とし、B面に「子供じゃないの」が収められた。
日本では、漣健児こと草野昌一がいち早くこの曲の権利を確保して、原曲の歌詞に必ずしも縛られない自由な日本語詞を訳詞として「子供ぢゃないの」を書き、実弟の草野浩二がディレクターを務めた弘田三枝子の1961年のデビュー曲とした[6]。曲名の表記は、後に「子供じゃないの」と改められたが[7]、「子どもじゃないの」としても言及されることもある[6]。シングルB面には、「悲しきかた想い」が収められた。弘田盤は1962年1月時点で既に7万枚を売り上げる大ヒットとなった[8]。
脚注
[編集]- ^ 45cat - Helen Shapiro - Don't Treat Me Like A Child / When I'm With You - Columbia - UK - DB 4589
- ^ Leigh, Spencer (2014年7月10日). “Mike Hawker: Songwriter who won an Ivor Novello for 'Walkin' Back To Happiness', and also wrote for Dusty Springfield - Obituary”. The Independent 2015年1月6日閲覧。
- ^ a b Dowse, Tony (2011). The Ultimate Helen Shapiro. EMI Gold
- ^ Billboard Magazine, Hits of the World, August 1961 2012年9月23日閲覧。
- ^ Billboard Magazine, Hits of the World, August 1961 2012年9月23日閲覧。
- ^ a b 柴田勝章 (2001年6月29日). “弘田三枝子「子供ぢゃないの」(ビバ!ポップス)”. 朝日新聞・夕刊: p. 19. "61年に「子供ぢゃないの」(後に「子どもじゃ…」に統一)でデビューした時は14歳。... テレビの歌番組のオーディションでスカウトされ、東芝レコード(現・東芝EMI)からデビューが決まった。ディレクターは草野浩二。漣健児の名で訳詞を始めていた草野昌一の実弟だ。浩二に頼まれた昌一は、ロンドンから仕入れてきたばかりの、ヘレン・シャピロの「子供じゃないの」を推す。「原題は、もう子供じゃない、という意味だが、中身は弘田のイメージで自由に書いた」。「夜中に帰るとママが」などは元の詞にはなく、「超訳」といわれた。" - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ 弘田三枝子-Golden-Double-For-You - Discogs
- ^ 「ニュー・アイドル誕生」『新週刊』1962年1月18日号、4頁。NDLJP:3555721/3