東家浦太郎
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(太田英夫から転送)
初代
[編集]初代 | |
本名 | |
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生年月日 | 1919年12月24日 |
没年月日 | 2004年4月15日(84歳没) |
出身地 | 日本・東京都東京市本郷区駒込 |
師匠 | 東家燕左衛門 東家楽浦 |
名跡 | 1. 東家佐久良丸(1933年 - 1935年) 2. 初代東家浦太郎(1935年 - 1995年) 3. 東家 |
活動内容 | 1933年 - 1995年 |
受賞歴 | |
文化庁芸術祭優秀賞(1984年) 紫綬褒章(1985年) 勲四等旭日小綬章(1991年)[1] | |
備考 | |
日本浪曲協会元会長(1964年 - 1976年) | |
初代東家 浦太郎(あずまや うらたろう、1919年12月24日 - 2004年7月15日)
東京都東京市本郷区駒込出身。本名は
- 1932年 - 千駄木尋常小学校を卒業。その頃から浪曲に親しむ。
- 1933年 - 東家燕左衛門に入門し、東家佐久良丸。
- 1934年 - 東家楽浦門下になり、
- 1935年 - 15歳で真打にスピード昇進。東家浦太郎を名乗る。
- 1942年から明治座を筆頭に各地で独演会を開催。
- 1964年 - 日本浪曲協会会長に就任。通算6期12年。
- 1995年 - 隠居し東家
三叟 を名乗った。
受賞
[編集]得意演目
[編集]- 「野狐三次」
- 「夕立勘五郎」等。
関連書
[編集]- 芝清之編『東家浦太郎関東節ひとすじ : 芸談・出演日誌 昭和九年~昭和五十六年』浪曲編集部、1994年。JP番号 94053742
2代目
[編集]二代目 | |
本名 | |
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別名 | 節のデパート |
生年月日 | 1942年11月15日 |
没年月日 | 2022年5月8日(79歳没) |
出身地 | 日本・千葉県匝瑳市 |
死没地 | 日本・千葉県松戸市 |
師匠 | 東家楽浦 |
弟子 | 浪花亭友歌 東家一太郎 東家孝太郎 東家恭太郎 |
名跡 | 1. 東新太郎(1955年 - 1970年) 2. 太田英夫(1970年 - 1995年) 3. 二代目東家浦太郎(1995年 - 2022年) |
活動期間 | 1955年 - 2022年 |
活動内容 | 浪曲師 |
所属 | 日本浪曲協会 |
受賞歴 | |
1987年 - 文化庁芸術祭芸術祭賞 1990年 - 芸術選奨文部大臣新人賞。 | |
備考 | |
日本浪曲協会会長(2002年 - 2003年) | |
東家 浦太郎(1942年11月15日[2] - 2022年5月8日) 千葉県匝瑳郡野栄町(今の匝瑳市)出身。本名は太田 清[2]。荒川区立一中学校卒業[2]。 節真似も得意で様々な節をこなし、「節のデパート」の異名をとる。テーブル掛けは、得意演題からの「浅草観音に捨て子された野狐三次」。多くの浪曲教室で教える。東京・金町で後援会が毎月入場無料で開く「浦太郎の会」は370回(足かけ30年)を超え、特筆される。
- 1955年 - 東家楽浦に入門、浦清を名乗り、下積み時代。一時、歌謡曲で「東新太郎」を経て
- 1970年8月 - 太田英夫と改名。
- 1972年 - 永六輔、小沢昭一をゲストに迎え、浅草国際劇場で「ヤング浪曲の会」。
- 1995年 - 初代引退に伴い、二代目東家浦太郎を襲名。
- 2002年 - 日本浪曲協会会長就任。2003年まで1期2年[3]。
- 2007年6月 - 軽い脳梗塞で入院。8月に復帰。
- 2013年12月 - 胆石で入院。協会主催の「男の浪花節」公演を休演。翌1月に京都で舞台復帰。
- 2022年5月8日 - 食道がんのため、千葉県松戸市の病院で死去[4][5]。79歳没。
受賞
[編集]得意演目
[編集]- 「野狐三次」
- 「義士伝」他多数