前田一輝
前田 一輝(まえだ かずき、1988年〈昭和63年〉2月23日[1] - )は、高田川部屋に所属した元大相撲力士。二所ノ関部屋マネージャー。茨城県稲敷郡阿見町議会議員(1期)。身長174cm、体重92.5kg[1]。最高位は西幕下32枚目(2012年7月場所)。
来歴
[編集]兵庫県神戸市灘区出身[2][注釈 1]。報徳学園中学校を卒業したが、報徳学園高等学校を1年で中退した[3]。中退後、高田川部屋に入門し、2004年3月場所で初土俵を踏む。翌5月場所、序ノ口に付き、四股名を師匠の「前の山」と戦前の名力士の「神風」から高田川部屋所属の行司・式守勘太夫(後の38代木村庄之助)により、「前神風」と改めた[4]。その後、四股名は序二段で「輝錦」、三段目で四股名を「威力」と変え(当時部屋付きだった千田川(元関脇安芸乃島)の命名)[4]、 2009年5月場所から四股名を「前神風」に戻し[4]、「前神風」のときに幕下に上がり、最高位の幕下32枚目に進んだ。四股名を「神風力」から「大神風」に改めた[4]。2015年5月場所から「大神風龍二」と改名。この改名は当時、現役力士では最多の8回目の改名となった。これには当時年寄佐ノ山(元大関・千代大海、現・九重)から直々に「オレの名前をやる」と言われたことによる[5][6]。2016年11月場所で引退した。
引退後は帰郷し、警備会社で働いた後、不動産会社に入社。不動産会社時代にファイナンシャルプランナー(2級FP技能士)の資格を取得した。取得後は税理士法人に転職し、管理職となった。この間、松本国際高等学校通信課程で学び、卒業した[3]。その後は一門の横綱だった稀勢の里の誘いで二所ノ関部屋のマネージャーに就任した[3][7]。2024年3月、二所ノ関部屋のある阿見町の町議会議員選挙に無所属で立候補し、当選した[8]。
また、阿見町事業連携アドバイザーや合同会社力人代表社員を務める[3]。
主な成績
[編集]通算成績
[編集]- 通算成績:261勝252敗12休(76場所)
改名歴
[編集]- 前田 一輝(まえだ かずき) 2004年3月場所
- 前神風 一輝(まえしんぷう かずき) 2004年5月場所 - 2005年11月場所
- 輝錦 一太郎(てるにしき いちたろう) 2006年1月場所 - 2006年5月場所
- 威力 太郎(いりょく たろう) 2006年7月場所 - 2009年3月場所
- 前神風 勝輝(まえしんぷう かつき) 2009年5月場所 - 2012年7月場所
- 神風力 勝輝(じんぷうりき かずき) 2012年9月場所
- 神風力 勝輝(しんぷうりき かずき) 2012年11月場所
- 大神風 力(だいかみかぜ ちから) 2013年1月場所 - 2015年3月場所
- 大神風 龍二(だいかみかぜ りゅうじ) 2015年5月場所 - 2016年11月場所
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 『平成二十年度大相撲力士名鑑』50頁。
- ^ 大神風 龍二‐力士プロフィール‐日本相撲協会公式サイト
- ^ a b c d 前田かずき プロフィール|前田かずきオフィシャルサイト
- ^ a b c d 大神風です
- ^ 大神風8度目改名、元大関千代大海が「名前やる」‐大相撲:日刊スポーツ 2015年4月27日2024年5月8日閲覧。
- ^ 大神風です。« 高田川部屋ブログ2024年5月8日閲覧。
- ^ 阿見町と親方 がっぷり四つ 6月開所の二所ノ関部屋と連携 相撲の面白さ広めたい 東京新聞 TOKYO Web 2022年4月7日2024年5月8日閲覧。
- ^ 阿見町議会議員選挙‐2024年03月24日投票|茨城県阿見町|選挙ドットコム
参考文献
[編集]- 『平成二十年度大相撲力士名鑑』ベースボールマガジン社、2008年。