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大村横穴群

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大村横穴墓群から転送)
東群
画像左端の11号横穴の外壁において線刻が認められる。
西群
大村横穴群の位置(熊本県内)
大村横穴群
大村横穴群
大村横穴群の位置

大村横穴群(おおむらよこあなぐん、大村横穴墓群/城本横穴群)は、熊本県人吉市城本町にある横穴墓群。国の史跡に指定されている。

概要

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熊本県南部、人吉盆地中央部の球磨川北岸の村山台地南側、阿蘇溶結凝灰岩の崖面約800メートルに渡って営造された横穴墓群である[1]。東西2群に分かれ、計27基から構成される。早い段階から学界で注目され、1916年大正5年)に調査が実施されている[1]

各横穴墓の構造は、被葬者を埋葬する玄室の前に、羨道・羨門を持つという高塚古墳(墳丘を持つ一般的な古墳)の横穴式石室と同様のものになる[1]。玄室は隅丸方形で、屍床を2区または3区設ける[2]。羨門は方形またはドーム形で、多くは周囲に飾り縁を持つ[2]。横穴群のうち4・5・7・11・14・15号の6基には彫刻(浮彫)による装飾が認められており、15号横穴の玄室奥壁において線刻二重円文5個が描かれるほかは[3][4]、羨門外壁において動物・武器・武具・幾何学文様(円文・三角文等)が描かれている[2][1]。特に7号横穴では、外壁上部に三角文8個が鋸歯状に並べられ、その右上段には三角文が二重に線刻されているほか、向かって右側に奴凧形の靫が矢10本とともに描かれる[3][4]。さらに左外壁には馬5頭が線刻されており、躍動的・立体的に描かれる点で注目される[3][4]。また11号横穴では外壁左側に靫2個・円文5個・刀子など、右側に靫1個が描かれ、14号横穴では上部に車輪形・盾、左に靫2個が描かれる[3][4]。なお、横穴群の付近で蕨手刀・須恵器1個が出土したというが、詳らかでない[3][4]

この大村横穴群は、古墳時代後期-終末期6世紀-7世紀代の営造と推定される[1]。全国に約600基、熊本県に187基ある装飾古墳のうちであり[2][1]、装飾古墳の多い熊本県を特徴づける遺跡の1つになる。

遺跡域は1921年(大正10年)に国の史跡に指定されている[5]

遺跡歴

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文化財

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国の史跡

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  • 大村横穴群 - 1921年(大正10年)3月3日指定[5]

交通アクセス

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手前に人吉駅、奥に大村横穴群

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 史跡説明板。
  2. ^ a b c d e 大村横穴群(国指定史跡).
  3. ^ a b c d e 大村横穴群(平凡社) 1985.
  4. ^ a b c d e f 大村横穴墓群(古墳) 1989.
  5. ^ a b c 大村横穴群 - 国指定文化財等データベース(文化庁

参考文献

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(記事執筆に使用した文献)

  • 史跡説明板(人吉市教育委員会、2002年設置)
  • 乙益重隆「大村横穴群」『国史大辞典吉川弘文館 
  • 「大村横穴群」『日本歴史地名大系 44 熊本県の地名』平凡社、1985年。ISBN 4582490441 
  • 杉村彰一「大村横穴墓群」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607 
  • 大村横穴群」『国指定史跡ガイド』講談社  - リンクは朝日新聞社「コトバンク」。

関連文献

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(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 「史跡大村横穴群保存修理事業概要報告」『ひとよし歴史研究 第8号(平成16年度)』人吉市教育委員会、2005年。 
  • 「大村横穴群第27号横穴の温湿度計測について」『ひとよし歴史研究 第19号(平成27年度)』人吉市教育委員会、2016年。 
  • 『史跡大村横穴群保存活用計画書』人吉市教育委員会、2018年。 

外部リンク

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座標: 北緯32度13分01秒 東経130度45分15秒 / 北緯32.21706度 東経130.75419度 / 32.21706; 130.75419 (大村横穴群)