大村横穴群
大村横穴群(おおむらよこあなぐん、大村横穴墓群/城本横穴群)は、熊本県人吉市城本町にある横穴墓群。国の史跡に指定されている。
概要
[編集]熊本県南部、人吉盆地中央部の球磨川北岸の村山台地南側、阿蘇溶結凝灰岩の崖面約800メートルに渡って営造された横穴墓群である[1]。東西2群に分かれ、計27基から構成される。早い段階から学界で注目され、1916年(大正5年)に調査が実施されている[1]。
各横穴墓の構造は、被葬者を埋葬する玄室の前に、羨道・羨門を持つという高塚古墳(墳丘を持つ一般的な古墳)の横穴式石室と同様のものになる[1]。玄室は隅丸方形で、屍床を2区または3区設ける[2]。羨門は方形またはドーム形で、多くは周囲に飾り縁を持つ[2]。横穴群のうち4・5・7・11・14・15号の6基には彫刻(浮彫)による装飾が認められており、15号横穴の玄室奥壁において線刻二重円文5個が描かれるほかは[3][4]、羨門外壁において動物・武器・武具・幾何学文様(円文・三角文等)が描かれている[2][1]。特に7号横穴では、外壁上部に三角文8個が鋸歯状に並べられ、その右上段には三角文が二重に線刻されているほか、向かって右側に奴凧形の靫が矢10本とともに描かれる[3][4]。さらに左外壁には馬5頭が線刻されており、躍動的・立体的に描かれる点で注目される[3][4]。また11号横穴では外壁左側に靫2個・円文5個・刀子など、右側に靫1個が描かれ、14号横穴では上部に車輪形・盾、左に靫2個が描かれる[3][4]。なお、横穴群の付近で蕨手刀・須恵器1個が出土したというが、詳らかでない[3][4]。
この大村横穴群は、古墳時代後期-終末期の6世紀-7世紀代の営造と推定される[1]。全国に約600基、熊本県に187基ある装飾古墳のうちであり[2][1]、装飾古墳の多い熊本県を特徴づける遺跡の1つになる。
遺跡域は1921年(大正10年)に国の史跡に指定されている[5]。
遺跡歴
[編集]- 1907年(明治40年)頃、肥薩線工事の際に蕨手刀・須恵器1個の発見[4]。
- 1916年(大正5年)、調査(京都帝国大学の濱田耕作ら)[1]。
- 1921年(大正10年)3月3日、国の史跡に指定[5]。
文化財
[編集]国の史跡
[編集]- 大村横穴群 - 1921年(大正10年)3月3日指定[5]。
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(人吉市教育委員会、2002年設置)
- 乙益重隆「大村横穴群」『国史大辞典』吉川弘文館。
- 「大村横穴群」『日本歴史地名大系 44 熊本県の地名』平凡社、1985年。ISBN 4582490441。
- 杉村彰一「大村横穴墓群」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
- 「大村横穴群」『国指定史跡ガイド』講談社。 - リンクは朝日新聞社「コトバンク」。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 「史跡大村横穴群保存修理事業概要報告」『ひとよし歴史研究 第8号(平成16年度)』人吉市教育委員会、2005年。
- 「大村横穴群第27号横穴の温湿度計測について」『ひとよし歴史研究 第19号(平成27年度)』人吉市教育委員会、2016年。
- 『史跡大村横穴群保存活用計画書』人吉市教育委員会、2018年。