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茨城県立大子清流高等学校

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大子清流高等学校から転送)
茨城県立大子清流高等学校
地図北緯36度46分41.2秒 東経140度20分49.6秒 / 北緯36.778111度 東経140.347111度 / 36.778111; 140.347111座標: 北緯36度46分41.2秒 東経140度20分49.6秒 / 北緯36.778111度 東経140.347111度 / 36.778111; 140.347111
国公私立の別 公立学校
設置者 茨城県
学区 (総合学科)茨城県全域
(森林科学科)全国
併合学校 茨城県立大子第一高等学校
茨城県立大子第二高等学校
校訓 自律・創造・友愛
設立年月日 2004年4月
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 (森林科学科)学年制
(総合学科)単位制
設置学科 森林科学科
総合学科
学校コード D108236400018 ウィキデータを編集
高校コード 08212A
所在地 319-3526
茨城県久慈郡大子町大子224番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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茨城県立大子清流高等学校の位置(茨城県内)
茨城県立大子清流高等学校

茨城県立大子清流高等学校(いばらきけんりつだいごせいりゅうこうとうがっこう)は、茨城県久慈郡大子町大子に位置する県立高等学校。大子第一高等学校と大子第二高等学校が統合して設立された。校名の「清流」は大子町の象徴的存在である久慈川と「清廉な人物、貴い恵み」という学校の教育目標を表す[1]

設置学科・系列

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統合前の学科

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茨城県立大子第一高等学校
  • 普通科
  • 農業科
  • 森林科学科
茨城県立大子第二高等学校
  • 普通科

沿革

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統合した学校

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大子清流高等学校は、以下の2校を統合して発足した。

大子第一高等学校

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茨城県立大子第一高等学校(いばらきけんりつだいごだいいちこうとうがっこう)は、茨城県久慈郡大子町にあった、公立の高等学校。校訓は「至誠・勤労・協和」[4]1981年(昭和56年)時点では普通科・農業科・林業科・生活科を置き、生徒数は826人であった[4]

校地(茨城県久慈郡大子町大子224)は大子清流高等学校に引き継がれた[2]

一高の沿革

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  • 1907年(明治40年)
    • 11月29日 - 大子町外七ヶ村学校組合立大子農学校として発足[5]
    • 12月7日 - 開校式・入学式を挙行。3年制の乙種農学校で、初年度の入学者は63人だった。
  • 1919年(大正8年)4月1日 - 西後谷津に校舎を新築、移転。
  • 1920年(大正8年)3月 - 郡立に移管し、久慈郡農学校に改称。久慈郡議会の採決で、賛成18、反対17の僅差で郡立移管が決まった。
  • 1923年(大正12年)
    • 2月20日 - 校舎増築上棟式を挙行。
    • 4月1日 - 県立に移管し、茨城県立大子農学校となる。
  • 1929年(昭和4年)4月1日 - 甲種農学校に昇格[6]
  • 1941年(昭和16年) - 林業科設置。
  • 1942年(昭和17年)
    • 3月 - 校舎増築落成。
    • 4月1日 - 茨城県立大子農林学校に改称。
  • 1943年(昭和18年)3月 - 新講堂完成。
  • 1945年(昭和20年)5月 - 武道場と2教室を日立製作所疎開工場として貸与。実際にはほとんど使用されずに終戦を迎えた[7]
  • 1948年(昭和23年)4月 - 茨城県立大子高等学校に改称。普通科を設置。
  • 1949年(昭和24年)4月 - 茨城県立大子第一高等学校に改称。4年制定時制課程(普通科・農業科)を設置。
  • 1965年(昭和40年) - 鉄筋コンクリート造の新校舎完成。生活科を設置。
  • 1969年(昭和44年) - 芦野倉に農場を移転。
  • 1980年(昭和55年) - 新管理棟完成。
  • 2004年(平成16年) - 新入生の募集を停止。
  • 2006年(平成18年)3月31日 - 閉校[8]

大子第二高等学校

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茨城県立大子第二高等学校(いばらきけんりつだいごだいにこうとうがっこう)は、茨城県久慈郡大子町にあった、公立の高等学校。1981年(昭和56年)時点では普通科と家庭科を置く生徒数673人の高校だった[4]。校訓は「誠実・勤労・友愛」[4]

校地(茨城県久慈郡大子町北田気662)は改修工事が行われ、2009年(平成21年)8月より東京理科大学大子研修センターとなった[9]。のちに、1年間貸与期間を延長の上で2020年1月に敷地を町に返却[10]。敷地は大子町営研修センターと新・大子町庁舎に活用された。

二高の沿革

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  • 1910年(明治43年)12月15日 - 私立大子女子技芸講習所として開校[7]。金町の野内せき宅2階を仮教場とし、初年度の生徒は10人だった[7]
  • 1912年(明治45年)
    • 1月 - 本町の益子勝雄宅に教場を移転。
    • 4月 - 大子町に移管、大子町立女子技芸補習学校に改称。大子尋常高等小学校に併設する。6月30日に開校式を挙行。
  • 1918年(大正7年)8月17日 - 大子町立女子技芸学校に改称。茨城県で11番目の独立した女子校となる。9月26日に開校式を挙行。
  • 1923年(大正12年)5月 - 法隆寺助教諭の転任に反発した生徒が同盟休校に入る。法隆寺助教諭は翌1924年(大正13年)12月に復帰。
  • 1927年(昭和2年) - 組合立に移管、茨城県大子町外六ヶ村組合立大子女子技芸学校に改称。
  • 1937年(昭和12年)12月24日 - 2階建の新校舎落成式を挙行。後山に移転。
  • 1938年(昭和13年)度 - 花嫁修業として1週間の合宿訓練を行う「家庭寮」を実施。1942年(昭和17年)度まで継続する。
  • 1943年(昭和18年)4月1日 - 茨城県大子高等女学校に昇格。
  • 1945年(昭和20年) - 4年制に改組[11]
  • 1946年(昭和21年)
    • 9月 - 旧校舎を移転改築して平屋建にする。
    • 11月1日 - 大子町外九ヶ村組合立に移行。
    • 12月24日 - 翌年に県立移管することが決定し、喜んだ人々が太鼓を打ち鳴らして行進する。
  • 1947年(昭和22年)3月1日 - 茨城県に移管、茨城県立大子高等女学校に改称。
  • 1948年(昭和23年)4月 - 茨城県立大子女子高等学校に改称。
  • 1949年(昭和24年)4月 - 茨城県立大子第二高等学校に改称。普通科と家庭科を設置。
  • 1952年(昭和27年) - 体育館竣工。
  • 1960年(昭和35年) - 校舎を新築。
  • 1977年(昭和52年)10月 - 1973年(昭和48年)から始まった校地造成と諸設備の建設が終わり北田気に移転、授業開始[12]
  • 2004年 - 新入生の募集を停止。
  • 2006年(平成18年)3月31日 - 閉校[8]
  • 2008年(平成20年)6月 - 大子町が東京理科大学に校地を無償貸与[9]
  • 2009年(平成21年)8月 - 東京理科大学大子研修センターが開設[9]

交通

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茨城県道160号梨野沢大子線沿い。

著名な出身者

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脚注

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  1. ^ 茨城県教育委員会"大子地区新高等学校の概要"(2011年1月17日閲覧。)
  2. ^ a b c 茨城県立大子清流高等学校"森林科学科の全国からの生徒募集について(お知らせ)"(2011年1月17日閲覧。)
  3. ^ 茨城県教育委員会"茨城県立大子清流高等学校"茨城県ハイスクールガイド2008.(2011年1月17日閲覧。)
  4. ^ a b c d 茨城新聞社(1981):635ページ
  5. ^ 大子町史編さん委員会(1993):129ページ
  6. ^ 大子町史編さん委員会(1993):134ページ
  7. ^ a b c 大子町史編さん委員会(1993):136ページ
  8. ^ a b 寺澤 賢"第87回全国高校野球大会[首都圏]/『伝統のつなぐ野球 最後も示せた』"東京新聞.2005年7月21日.(2011年1月17日閲覧。)
  9. ^ a b c 東京理科大学"大子研修センター 今夏オープン 茨城県大子町・本学最大郊外施設・体育や実験等多目的活動可"大学報:174号.2009年7月7日.(2011年1月17日閲覧。)
  10. ^ 大子町役場の移転先決まる 旧東京理科大研修センター 2年後の完成目指す 東京新聞 2023年9月11日閲覧
  11. ^ 大子町史編さん委員会(1993):141ページ
  12. ^ 大子町史編さん委員会 編(1993):650 - 651ページ
  13. ^ 高砂部屋"大子錦"(2011年1月17日閲覧。)

参考文献

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  • 茨城新聞社 編『茨城県大百科事典』茨城新聞社、1981年10月8日、1099pp.
  • 大子町史編纂委員会 編『大子町史 通史編 下巻』大子町、平成5年3月31日、773pp.

関連項目

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外部リンク

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