コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

外山警部補殺害事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
外山輝宣から転送)
外山警部補殺害事件
場所 日本の旗 日本鹿児島県川内市
日付 1967年1月5日
午後11時10分ごろ
概要 殺人事件
原因 強盗の手配からの逃走中による格闘
武器 包丁
死亡者 警察官1名
犯人 男性(事件当時24歳)
容疑 殺人他
対処 鹿児島県警察被疑者逮捕鹿児島地方裁判所懲役15年の判決が確定。
テンプレートを表示

外山警部補殺害事件(とやまけいぶほさつがいじけん)とは、1967年1月5日鹿児島県川内市(現・薩摩川内市)で発生した警察官殺害事件[1]

川内署太平橋派出所の外山輝宣巡査強盗犯人を追跡中に殺害されたもので、鹿児島県警察学校では「体を張って市民に尽くす警察官の原点」として代々語り継がれている[2]

事件概要

[編集]

1967年1月5日午後10時35分頃、鹿児島県阿久根市の道路上で、帰宅途中の外交員の女性(当時36歳)が、保険証書現金2300円入りのハンドバッグがひったくられた[1]緊急配備中、川内市大平橋派出所前の国道3号で行っていた検問を乗用車が突破したため、派出所配属の外山輝宣巡査(当時19歳)は、同じ派出所の巡査(以下、同派出所巡査)が運転するパトカーに同乗して追跡し、約4km先で追いついた[1]。同派出所巡査が本署と無線連絡中、外山巡査は車から降りて約30m離れた水田に逃げ込んだ犯人を追い込んだが激しい格闘となり、外山巡査は犯人が隠し持っていた包丁で胸や頭など6箇所を刺された[1][2]。犯人はそのまま逃走し、外山巡査は駆けつけた同派出所巡査に「署長どん、すみません。犯人を逃がして」と言い残して病院に運ばれたが、6日午前2時25分頃、出血多量で死亡した[1][2]

犯人である男性(当時24歳)は2月22日に逮捕され、12月5日に鹿児島地方裁判所で無期懲役の求刑に対し、心神耗弱だったとして懲役20年の実刑が言い渡され[3][3]控訴しなかった為、刑が確定した[1]

殉職巡査

[編集]

殉職した外山輝宣巡査は1965年4月に鹿児島県警に入り、警察学校での研修課程修了後の1966年3月からは川内署太平橋派出所に配属されていた[2]。配属4ヶ月目に職務質問から窃盗犯を逮捕するなどで署長賞を6回受けており、将来が期待されていた[2]

事件後

[編集]

外山巡査は殉職後、警察官の模範であるとして内閣総理大臣褒章、警察功労章などを贈られるとともに、警部補へ二階級特進した[4]

川内市長が中心となり、1968年に川内市隈之城町の殉職の地に顕彰碑が建立され、地元高校の教諭によって哀悼歌「ああ外山警部補」が作られた[2][4]。また、1970年に胸像が建立された[2]

鹿児島県警察学校では、警察官としての心得や、あるべき姿を学ぶ「職務倫理」の一環として代々語り継いでおり、入校前のオリエンテーションでは血に染まった制服が残されている資料室へ真っ先に案内される[2]

出身地である曽於市(旧・曽於郡末吉町)にある外山警部補の墓は、曽於警察署員と同市在住の警察OBが毎年盆前に清掃を行っている[5]。太平橋交番には、外山警部補の遺影が飾られている[4][6]。遺影は現在統合された川内中央交番に移されている。

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f 中村光至『殉職 外山警部補殺害事件』勁文社〈ケイブンシャ文庫〉、1986年。ISBN 978-4766904420 
  2. ^ a b c d e f g h 19歳の殉職 語り継ぐ 県警察学校資料室に制服 誇りや使命感学ぶ=鹿児島(読売新聞西武朝刊 2012年7月5日 35頁)
  3. ^ a b “Contents, Vol. 12, 1967”. Chemotherapy 12 (6): I–IV. (1967). doi:10.1159/000220515. ISSN 0009-3157. https://doi.org/10.1159/000220515. 
  4. ^ a b c 殉職警官の33回忌法要、同期生らめい福祈る/川内(南日本新聞朝刊 1999年1月8日)
  5. ^ 勇敢な行動、45年教え継がれ/殉職警官の墓、署員らが清掃=曽於市(南日本新聞朝刊 2012年8月16日)
  6. ^ 註:大平橋交番は2000年に川内駅前交番と統合し川内中央交番となっている

関連書籍

[編集]
  • 中村光至『墨の儀式』講談社、1968年。 
    本事件のノンフィクション。著者は事件当時、福岡県警勤務。
  • 中村光至『殉職 外山警部補殺害事件』勁文社〈ケイブンシャ文庫〉、1986年。ISBN 978-4766904420 
    上記作品を加筆して文庫化。著者は県警退職後、作家専業となった。