塩埕区
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別称: 打狗塩埕、瀬南塩埕 | |
地理 | |
---|---|
位置 |
北緯--°--" 東経--°--" |
面積: | 1.4161 km² |
各種表記 | |
繁体字: | 鹽埕區 |
日本語読み: | えんてい |
拼音: | Yánchéng |
注音符号: | ㄧㄢˊㄔㄥˊ |
片仮名転写: | イェンチェン |
台湾語: | Iâm-tiânn |
客家語: | Yâm-thàng |
行政 | |
行政区分: | 市轄区 |
上位行政区画: | 高雄市 |
下位行政区画: | 21里228鄰 |
塩埕区長: | 顏賜山 |
公式サイト: | 塩埕区政府 |
情報 | |
総人口: | 22,531 人(2022年5月) |
世帯数: | 10,887 戸(2022年5月) |
郵便番号: | 803 |
市外局番: | 07 |
塩埕区(イェンチェン/えんてい-く)は、高雄市の市轄区。
地理
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歴史
[編集]塩埕区は17世紀のオランダ統治以前から漁業基地として利用されており、明末清初の鄭氏政権時代には製塩業を営む住民が居住していた。1701年、鳳山県衙がこの地の漁業、製塩業に着目し入植を積極的に進めた。当時打狗港に隣接していたことから打狗塩埕、後に瀬南塩埕と称されるようになる。埕とは「作業を行う広場」を表す方言字であり、製塩業に由来した地名である。
日本統治時代の1908年に高雄港が完成すると、浚渫した土壌は本区の埋め立てに利用され、塩田は埋立地して開発された。1928年、高雄私宅所が本区栄町(現在の高雄市立歴史博物館)に移転したことから急速な発展を遂げ、高雄最多の人口を擁する区となったが、商業の中心は市東部に移り、人口はその後激減して現在に至っている。
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吉井百貨
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高雄銀座
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旧友松医院
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旧帖佐医院
行政区
[編集]里 |
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中山里、中原里、江西里、江南里、光明里、沙地里、育仁里、府北里、河浜里、南端里、教仁里、陸橋里、港都里、新化里、新楽里、新豊里、博愛里、慈愛里、寿星里、藍橋里、瀬南里 |
歴代区長
[編集]代 | 氏名 | 任期 |
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初代 | 林迦 | 1945年12月-1951年6月 |
第2代 | 郭万枝 | 1950年6月-1960年8月 |
第3代 | 黄嘉賓 | 1960年8月-1975年6月 |
第4代 | 楊世漢 | 1975年6月~1977年3月 |
第5代 | 張廷江 | 1977年3月~1977年7月 |
第6代 | 謝今井 | 1977年7月~1982年12月 |
第7代 | 荘錦進 | 1982年12月~1988年8月 |
第8代 | 陳文樟 | 1988年8月~1991年3月 |
第9代 | 黄清雄 | 1991年4月~1994年6月 |
第10代 | 陳良啓 | 1994年7月~1995年5月 |
第11代 | 李海鈺 | 1995年6月~1996年6月 |
第12代 | 呉岳璋 | 1996年6月~2000年12月 |
第13代 | 陳居豊 | 2000年12月~2002年1月 |
第14代 | 郭金池 | 2002年01月~2004年9月 |
第15代 | 郭明道 | 2004年9月~2007年1月 |
第16代 | 林玉魁 | 2007年1月~2009年4月 |
第17代 | 許金津 | 2009年4月~2013年6月 |
第18代 | 薛米惠 | 2013年6月~2015年1月 |
第19代 | 顏賜山 | 2015年1月~現職 |
交通
[編集]高雄捷運
[編集]教育
[編集]区分 | 数 | 名称 |
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大学 | 0 | - |
高職 | 0 | - |
高中 | 0 | - |
国中 | 1 | 高雄市立塩埕国民中学 |
国小 | 3 | 高雄市立塩埕国民小学 高雄市立忠孝国民小学 高雄市立光栄国民小学 |
幼稚園 | - | 未編集 |