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堀内護

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
堀内麻九から転送)
堀内 護
出生名 堀内 護(同じ)
別名 MARK(マーク)
堀内麻九(ヘアー時代)
生誕 (1949-02-02) 1949年2月2日
出身地 日本の旗 日本 東京都
死没 (2014-12-09) 2014年12月9日(65歳没)
ジャンル フォークロック
ソフトロック
職業 シンガーソングライター
音楽指導者
担当楽器 ボーカル
アコースティックギター
エレキギター
シタール
マンドリン
ピアノ
活動期間 1970年 - 2014年
共同作業者 ザ・ティーンズ
ザ・ディメンションズ
ジ・エンジェルス
ミルク
ヘアー
GARO
バースディ
LOVE US ALL
ガロ井戸
CARO
ALFIE
公式サイト オフィシャルサイト「マークワールド(ex.GARO)堀内護 公式サイト」
CSN&Y
ブレッド

堀内 護(ほりうち まもる、1949年2月2日[1] - 2014年12月9日)は、日本の男性歌手、音楽指導者(音楽講師)。通称・MARK(マーク)。かつては日高富明と高校時代からの友人松崎しげるとともに「ミルク」の一員。その後、日高と大野真澄ガロを結成。

来歴・人物

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東京都世田谷区出身[1]。五人きょうだいの末っ子(兄二人、姉二人)[1]多摩美術大学中退[1]。「ザ・ティーンズ」、「ザ・ディメンションズ」を経て、由美かおるのバックバンドの「ジ・エンジェルス[2]にて、本格的にプロミュージシャンとしての活動を始める。ジ・エンジェルスでは、「白夜のカリーナ」という楽曲でレコードデビューの予定であったが、デビュー直前に敢え無く解散となった。

その後、日高富明松崎しげるとのバンド「ミルク」[3]という名のGSバンドにて活動する。その後、ロックミュージカル「ヘアー[4](大野真澄とダブルキャストで、ウーフ役[5])を経て、1970年11月、大野、日高とガロを結成。かまやつひろしに見いだされ、同バンドとしてデビュー。「学生街の喫茶店」「君の誕生日」、自身が作曲した「ロマンス」などのヒット曲を出すが、1976年に解散。

ガロが解散した後もアコースティックサウンドを追求し、遠藤誠一(エンマ)と「バースディ」を結成し、デュオ活動を開始することを発表したが、仲違いから、アルバムを出すには至らなく、まもなく解散した。

その後ソロ活動をはじめ、アルバム『六夢(りくむ)』、『MARK BRIGHT』を発表したが、いずれもヒットにはつながらなかった。そのせいか表立った音楽活動は断念することとなり、北小岩8丁目で、オートテニスセンターを開業。一方で、日高のソロアルバムのレコーディングに参加したり、音楽指導をしたり、ニッポン放送40周年記念ミュージカル(南青山少女歌劇団)、川村カオリなどに楽曲提供をした事もあった。

1994年、「グッド・フレンズ」に参加。CD『ウッドストックの夏』を発表。

2004年杉山栽一のCD『SO AM I』にギター&コーラスで参加。

2007年6月、30年ぶりにライブ活動を再開する。

2011年東日本大震災の震災復興チャリティアルバム「STRENGTH by Various Artists for People of Japan」に、「Stranger In The City」が採用された。

2013年LOVE US ALL(ラバーソウル)を結成。メンバーは、堀内、ブレッド&バター岩沢二弓BUZZ東郷昌和

2014年ガロ井戸[6]を結成するが、12月9日胃がんのために死去[7]。65歳没。

2015年、1月22日、原宿ラドンナにて音楽葬「マーク(堀内護)を偲ぶ会」が行われた(大野、加橋かつみらが参加した)。

ディスコグラフィ

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シングル

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マーク(MARK)名義

  • 風の館 / 蒼いハイウェイ(1976.11.25)
  • 電車がつけば… / 僕から(1977.7)

アルバム

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マーク(MARK)名義

  • マーク・ファースト「六夢」(1976.11.25)
    天の川パートI / 蒼いハイウェイ / 甘いお酒 / ディープ・ブルー / 風の館 / 木の舟 / 信濃路 / 祭り日和 / 夏色の空 / 天の川パートII
  • MARK BRIGHT (1977.10.25)
    フレデリシアの城 / 銀河旅行 / エナメルの靴のシンデレラ / 眠い夜明け / 潮騒 / 僕は死なないだろう / 星くずの浜辺 / ブラインドをあけると・・・ / GOOD VIBRATION / フレデリシアの城II / 電車がつけば

グッド・フレンズ名義

  • ウッドストックの夏 (1994.7.22)
    Good-by Captain AMERICA / 君の忘れ物 / Dの会話 / ウッドストックの夏 / ゲバゲバ / 見たことのある景色 / カーテンコール / センチメンタル / 限りない愛の光で / グリーン

MARK from GARO名義

  • 時の魔法 (2013.9.25)
    学生街の喫茶店 / 時の魔法 / 虹色のラベンダー / 地球はメリーゴーランド / アビーロードの青い空 / 四つ葉のクローバー / ロマンス / 風の館 / ガラスの涙はもういらない / Stranger in the City / Pale Lonely Night / たんぽぽ

REYLA名義

  • MARK FOREVER (2015.12.9)
    聖日(インストゥルメンタル) / 鳥のように / スノーランド / 妖精の森 / おとぎの国の少女 / 夕日になりたい / ゲーム・オブ・ラブ / You Are The Winner

※一周忌の命日に合わせて遺作を発表。

デモ音源集

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  • 謎の?MARKデモ音源
    木の船(六夢) / 電車がつけば(MARK BRIGHT) / 祭り日和(六夢) / 潮騒(MARK BRIGHT) / 蒼いハイウェイ (六夢) / 甘いお酒(六夢)
  • MARK DEMO 2008
    Stranger In The City / Pale Lonely Night / 妖精の森

※ライヴハウスにて、限定販売された。

楽曲提供

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音楽指導をした主なアーティスト

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エピソード

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  • 実父が検事より弁護士に転身した時期に出生したため、「護」と名付けられた。
  • 日高、加藤和彦石川鷹彦と共に、日本で最初にMartin D-45を所持したミュージシャンと言われている。
  • 邦楽ポップスではシタールを初めて使用したとされている(「姫鏡台」で演奏)。
  • ガロ解散後、1980年代に日高と2人でガロを名乗り、都内のライブハウスでライブ活動を行ったことがあった。日高が欠席時に、後輩の坂崎幸之助が代役を務めたことがあった。

脚注

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  1. ^ a b c d 深夜放送ファン(自由国民社)1973年10月号 p.16「ガロの履歴書」
  2. ^ 単にエンジェルスと呼ばれる事もある
  3. ^ 1968年結成。バンド名は「ミルク」のほか冬期「ホットミルク」夏季「アイスミルク」と使い分けていた時期があり、1971年2月東芝エクスプレス・レコードからシングル「ハッシャバイ」でデビューしたときは「ホットミルク」。メンバーは流動的でレコードデビュー時は青木たかみち(ギター)、鳥羽清(キーボード)、木下孝(ベース)、原一郎(ドラムス)。
  4. ^ 1969年9月4日オーディションが行われた。
  5. ^ 本公演でこの役を演じることはなかった
  6. ^ メンバーは、堀内と元古井戸加奈崎芳太郎
  7. ^ 「ガロ」堀内護さんが死去 65歳、胃がん 日刊スポーツ 2014年12月11日閲覧

外部リンク

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