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小原日登美

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
坂本日登美から転送)
小原 日登美
2012年ロンドン五輪レスリング競技・女子フリースタイル48kg級表彰式の様子。表彰台の左から2人目・金メダルが小原。
個人情報
生誕名坂本 日登美
国籍日本の旗 日本
生誕 (1981-01-04) 1981年1月4日(43歳)
青森県の旗青森県八戸市
スポーツ
競技レスリング
クラブ自衛隊体育学校
獲得メダル
日本の旗 日本
女子 レスリング・フリースタイル
オリンピック
2012 ロンドン 48kg級
レスリング世界選手権
2000 ソフィア 51kg級
2001 ソフィア 51kg級
2005 ブダペスト 51kg級
2006 広州 51kg級
2007 バクー 51kg級
2008 東京 51kg級
2010 モスクワ 48kg級
2011 イスタンブール 48kg級
アジア大会
2010 広州 48kg級
レスリングアジア選手権
2000 ソウル 51kg級
2005 武漢 51kg級

小原 日登美(おばら ひとみ(旧姓・坂本)、1981年昭和56年〉1月4日 - )は、日本の女子レスリング元選手。2012年ロンドンオリンピック女子レスリング48kg級・金メダリスト。青森県八戸市出身。陸上自衛官(2021年4月現在の階級3等陸佐[1])。選手として在籍していた自衛隊体育学校で2021年現在はコーチを務める[1]

女子レスリング48kg級の坂本真喜子は妹、また女子レスリング67kg級の坂本襟いとこである。身長155cm。八戸工業大学第一高等学校-中京女子大学(現・至学館大学)卒。

経歴

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青森・八戸キッズでレスリングに取り組み、1998年に全国高校生選手権50kg級で優勝。1999年に全日本女子学生選手権51kg級と全日本選手権で優勝。2000年はアジア選手権で勝ったあと世界選手権で優勝。2001年に世界選手権連覇を達成した後、ひざの手術などで戦列を離れたが、2004年に復帰し、カナダカップとワールドカップで優勝した。2005年はワールドカップの出場を逃したものの、アジア選手権で優勝し、世界選手権で4年ぶりに優勝。全日本選手権でも勝利した。同年に第44期特体学生として自衛隊に入隊し自衛隊体育学校に所属する。2006年2007年の世界選手権で連覇を達成。

坂本が所属する51kg級は北京オリンピックで実施されないため、北京オリンピックは55kg級で出場を目指し、2007年1月の全日本選手権で吉田沙保里と対戦したが完敗した。同年4月のジャパンクイーンズカップ準決勝で坂本が松川知華子に敗れ、吉田が優勝したため、同年9月開催の世界選手権の55kg級の代表は吉田に決まった。世界選手権で吉田が優勝し、北京オリンピックの代表に決定したため、坂本が北京オリンピックに出場する可能性は消えた。

2008年の世界選手権での優勝を最後に現役を引退した。11月11日、防衛大臣浜田靖一から女性自衛官としては初となる第1級賞詞と第1級防衛功労章が授与された。また、彩の国功労賞を受賞。現役引退後は妹真喜子の指導に当たっていたが、2009年12月26日、妹が結婚を機に競技生活から引退することを明らかにしたため、現役復帰を表明。48kg級でロンドンオリンピックを目指すこととなった[2]。2010年9月に行われたレスリング世界選手権モスクワ大会で7度目の優勝を果たし、世界柔道選手権銅メダリストの國原頼子とともに防衛大臣北澤俊美から顕彰された[3]

2010年10月、元レスリング選手で海上自衛官小原康司と結婚したことを公表すると共に現役も続行、夫は練習をビデオに撮るなどして坂本をサポートし続けた[4]。2011年9月13日に登録名を結婚後の戸籍名である『小原日登美』に変更したことを発表した[5]。同月、イスタンブールで開催された世界選手権で8度目の優勝。12月の全日本選手権でも優勝し、ロンドンオリンピック女子48kg級の日本代表選手に決定した。

2012年8月9日、ロンドンオリンピック女子48kg級で悲願の金メダルを獲得した。小原はまた、このオリンピックを最後に引退することを表明した[6]。ロンドンオリンピックでの金メダル獲得により、防衛大臣森本敏から2度目の第1級賞詞が授与され、同年に青森県県民栄誉賞・八戸市民栄誉賞・彩の国スポーツ功労賞(2度目)・紫綬褒章[7]も受章した。2度目の第1級賞詞受賞は、三宅義信以来史上2人目となる[8]

人物

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激しい練習と減量の影響により現役時代は月経不順に苦しんだが[9]、治療を行い2014年10月に第1子を[10]、2016年に第2子を[9] 出産した。

2016年4月8日富士見市より富士見市PR大使を委嘱することが発表された[11]

2012年、夫の小原康司と「いい夫婦 パートナー・オブ・ザ・イヤー」を受賞。

著書

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脚注

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  1. ^ a b 第60期特別体育課程学生入校式 世界の頂点を目指し自衛官アスリート始動!”. 自衛隊体育学校 (2021年4月21日). 2021年5月20日閲覧。
  2. ^ 自衛隊スポーツ2010年3月18日号、朝雲新聞社。
  3. ^ 女子2選手(体校)が快挙、世界レスリング・坂本が金 朝雲新聞社 2010年9月16日付
  4. ^ “レスリング小原、自衛隊所属夫が「援軍」”. 日刊スポーツ. (2012年5月23日). https://www.nikkansports.com/sports/news/p-sp-tp0-20120523-955457.html 2012年5月23日閲覧。 
  5. ^ 坂本日登美、名字を小原に変更/レスリング サンケイスポーツ 2011年9月14日閲覧
  6. ^ “「ゴールと決めていた」小原、引退を明言”. 日本経済新聞. (2012年8月8日). https://www.nikkei.com/article/DGXNSSXKE0071_Z00C12A8000000/ 2012年8月9日閲覧。 
  7. ^ 褒章 内村選手たちメダリストも喜び”. NHK NEWSweb (2012年11月2日). 2012年11月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月30日閲覧。
  8. ^ レスリング金の小原&米満が自衛隊名誉賞 ニッカンスポーツ 2012年8月28日
  9. ^ a b 保高幸子 (2018年3月10日). “【特集】4月からコーチとしてマットへ復帰、自衛隊からオリンピック選手を育てる!…小原日登美さん”. 日本レスリング協会. 2019年5月24日閲覧。
  10. ^ 朝日新聞 2014年10月4日朝刊14版 21面
  11. ^ [1]

関連項目

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外部リンク

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