唐仁大塚古墳
唐仁大塚古墳 | |
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墳丘 (右に前方部、左の参道奥に後円部) | |
別名 | 唐仁1号墳 |
所属 | 唐仁古墳群 |
所在地 | 鹿児島県肝属郡東串良町新川西 |
位置 | 北緯31度21分50.00秒 東経130度59分13.17秒 / 北緯31.3638889度 東経130.9869917度座標: 北緯31度21分50.00秒 東経130度59分13.17秒 / 北緯31.3638889度 東経130.9869917度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 |
墳丘長140m(154m?) 高さ11m(後円部) |
埋葬施設 |
竪穴式石室1基(内部に舟形石棺) 箱式石棺1基 |
築造時期 | 4世紀末 |
史跡 | 国の史跡「唐仁古墳群」に包含 |
特記事項 | 九州地方第3位/鹿児島県第1位の規模 |
地図 |
唐仁大塚古墳(とうじんおおつかこふん、唐仁1号墳)は、鹿児島県肝属郡東串良町新川西にある古墳。形状は前方後円墳。唐仁古墳群(国の史跡)を構成する古墳の1つ。
鹿児島県では最大、九州地方では第3位の規模の古墳で[注 1]、4世紀末(古墳時代中期初頭)頃の築造と推定される。
概要
[編集]古墳群 | 古墳名 | 形状 | 墳丘長 | 築造時期 |
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生目 | 生目1号墳 | 前方後円墳 | 120m以上 | 4c前半 (4c後半?) |
生目3号墳 | 前方後円墳 | 137m | 4c中葉 | |
生目22号墳 | 前方後円墳 | 100m以上 | 4c後半 | |
唐仁 | 唐仁大塚古墳 | 前方後円墳 | 154m | 4c末 |
西都原 | 男狭穂塚古墳 | 帆立貝形古墳 | 176m | 5c前半 |
女狭穂塚古墳 | 前方後円墳 | 176m | ||
(単独) | 横瀬古墳 | 前方後円墳 | 134m | 5c中葉 |
鹿児島県東部、大隅半島東岸の志布志湾沿岸部の、肝属川の下流左岸の旧期砂丘帯(大塚砂洲)上に築造された大型前方後円墳である[2]。この地域では約130基の古墳で構成される大規模な唐仁古墳群の築造が知られ、古墳群中最大の本古墳はその中心的位置づけにある[2]。現在は墳頂に大塚神社が鎮座し[3]、1992年(平成4年)には墳丘の測量調査が実施されている[2]。
墳形は前方部が未発達の柄鏡形の前方後円形で[4]、前方部を南方に向ける。現在に段築は見られないが[2]、墳丘は3段築成とされる[3]。墳丘長は約140メートル(近年の文献では154メートル)を測り、鹿児島県では最大、九州地方では第3位の規模になる[注 1]。墳丘外表では葺石が認められるが、埴輪は見つかっていない[2]。墳丘周囲には周濠が巡らされており、周濠を含めた古墳総長は185メートルに及ぶ[3]。埋葬施設は竪穴式石室で、後円部墳頂の大塚神社の下には石室の蓋石5枚が露出する[3]。石室は墳丘主軸と平行方向とし、長さ3.6メートル・幅1.2メートル・高さ0.85メートルを測り、その内部に長さ2.75メートル・幅0.87メートルの砂岩製舟形石棺が据えられていた[3]。この石室からは横矧板鋲留短甲などが検出されている[2][5]。また竪穴式石室以外の埋葬施設として、竪穴式石室とは直交方向の箱式石棺1基も認められている[3]。
この唐仁大塚古墳は、古墳時代中期初頭の4世紀末頃の築造と推定される[4][3]。唐仁古墳群は大塚古墳を契機として営造が始まっており、1号墳(大塚)→100号墳(役所塚)→16号墳(薬師堂塚)の順で首長墓系譜をなす[4]。また南九州地方では、生目古墳群(宮崎県宮崎市)に後続し、西都原古墳群(宮崎県西都市)の男狭穂塚古墳・女狭穂塚古墳に先行する盟主墳に位置づけられ[1]、築造当時としては九州地方で最大規模の古墳になる[4]。
大塚古墳含む唐仁古墳群の古墳域は、1934年(昭和9年)に国の史跡に指定されている[6]。なお、唐仁古墳群の北方では大型前方後円墳の横瀬古墳(大崎町、墳丘長132メートル)の所在が、南方では日本最南端の前方後円墳を含む塚崎古墳群(肝付町)の分布が知られる[7]。
遺跡歴
[編集]- 明治末期には存在認知[5]。
- 1923年(大正12年)、瀬之口伝九郎が報告[5][4]。
- 1928年(昭和3年)、竪穴式石室の開蓋調査[8]。
- 1934年(昭和9年)1月22日、唐仁古墳群が国の史跡に指定[6]。
- 1992年(平成4年)、墳丘測量調査(東串良町教育委員会)[2][4]。
墳丘
[編集]墳丘の規模は次の通り[4]。
測量調査値 (1992年) |
橋本案[5] (2006年) | ||
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墳丘長 | 140m | 154m | |
後円部 | 直径 | 65m | 77m |
高さ | 10.7m | 12m | |
くびれ部 | 幅 | 28m | - |
前方部 | 長さ | 70m | - |
幅 | 36m | 38m | |
高さ | 4m | 4m |
墳丘長に関しては1992年(平成4年)の測量調査では現況140メートルとされるが、墳端の削平を考慮して推定復元154メートルとする説が挙げられており[5]、近年の文献ではこの値が散見される[1][4]。
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周濠から望む墳丘
右に後円部、左奥に前方部。 -
前方部から後円部を望む
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後円部から前方部を望む
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後円部墳頂の大塚神社
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大塚神社本殿
本殿前に接続する幣殿の下に石室が所在。 -
竪穴式石室天井石
脚注
[編集]注釈
出典
参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(東串良町教育委員会・東串良町文化財保護審議会、1997年設置)
- 地方自治体発行
- 「唐仁古墳群」 (PDF) (鹿児島県)。
- 「唐仁古墳群」 (PDF) (鹿児島県上野原縄文の森)。
- 『唐仁古墳群3 -町内遺跡発掘調査等事業に伴う測量等調査報告書-(東串良町埋蔵文化財発掘調査報告書 6)』東串良町教育委員会、2017年 。 - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
- 事典類
- その他
- 橋本達也「唐仁大塚古墳考」『鹿児島考古 第40号』鹿児島県考古学会、2006年、76-91頁。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 『唐仁古墳群 -1号墳(大塚古墳)の墳丘測量-(東串良町埋蔵文化財調査報告書 1)』東串良町教育委員会、1992年 。 - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。