屋良朝林
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(向思泰から転送)
屋良朝林(やら ちょうりん、[1]、1645年(順治2年)~)は、琉球王国第二尚氏王統の王族で、第三代国王尚真の第四王子尚龍徳・越来王子朝福の曾孫である。唐名は向思泰、大和名は屋良按司朝林。
概要
[編集]琉球王国第二尚氏王統第三代国王尚真の第四王子尚龍徳の孫で、向成章・屋良按司朝久の三男である。また、嘉味田殿内の分家四世にあたる。屋良按司を嗣ぐはずであった長兄の朝休(崇禎十三年生)が平民に降格となった(按司の位を放棄して、西原間切我謝に降りたと伝えられる)際、次兄の朝則(崇禎16年〜。後の冨茂昌・新田親方宗則)は既に尚豊王夫人・眞南風按司の猶子となっていたため、三男であった朝林が屋良按司の位を継承した。
子孫に元沖縄県知事屋良朝苗、政治活動家屋良朝助、お笑いタレントパッション屋良(本名、屋良 朝苗)、俳優屋良朝幸などがいる。
系譜
[編集]屋良按司一家は本家である喜屋武御殿(のちの嘉味田殿内)と不仲であったことが伝わっており、朝林は北谷に左遷となり、長兄朝休は平民に降格、次兄朝則だけが尚豊王夫人の猶子になることで首里に残った。
- 室:不詳
- 長男:向以礼・屋良親雲上朝宴(康煕十二年生、北谷ノ大屋良祖)
- 次男:向以儀・屋良里之子親雲上朝時(康煕十四年生、鳥堀ノ屋良祖)
- 三男:向以智・屋良里之子親雲上朝方(康煕二十八年生、石嶺ノ屋良祖)
参考文献
[編集]- ^ 向氏屋良門中世系図、系図編集委員会