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屋良朝林

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
向思泰から転送)

屋良朝林(やら ちょうりん、[1]、1645年(順治2年)~)は、琉球王国第二尚氏王統王族で、第三代国王尚真の第四王子尚龍徳・越来王子朝福の曾孫である。唐名は向思泰、大和名は屋良按司朝林。

概要

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琉球王国第二尚氏王統第三代国王尚真の第四王子尚龍徳の孫で、向成章・屋良按司朝久の三男である。また、嘉味田殿内の分家四世にあたる。屋良按司を嗣ぐはずであった長兄の朝休(崇禎十三年生)が平民に降格となった(按司の位を放棄して、西原間切我謝に降りたと伝えられる)際、次兄の朝則(崇禎16年〜。後の冨茂昌・新田親方宗則)は既に尚豊王夫人・眞南風按司の猶子となっていたため、三男であった朝林が屋良按司の位を継承した。

子孫に元沖縄県知事屋良朝苗、政治活動家屋良朝助、お笑いタレントパッション屋良(本名、屋良 朝苗)、俳優屋良朝幸などがいる。

系譜

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屋良按司一家は本家である喜屋武御殿(のちの嘉味田殿内)と不仲であったことが伝わっており、朝林は北谷に左遷となり、長兄朝休は平民に降格、次兄朝則だけが尚豊王夫人の猶子になることで首里に残った。

  • 父:向成章・屋良按司朝休(嘉味田殿内支流三世)
  • 母:不詳
    • 兄(長男):向思忠・西原親方朝休(崇禎十三年生)
    • 兄(次男):冨茂昌・新田親方宗則(崇禎十六年生、尚豊王夫人・眞南風按司の猶子)
  • 室:不詳
    • 長男:向以礼・屋良親雲上朝宴(康煕十二年生、北谷ノ大屋良祖)
    • 次男:向以儀・屋良里之子親雲上朝時(康煕十四年生、鳥堀ノ屋良祖)
    • 三男:向以智・屋良里之子親雲上朝方(康煕二十八年生、石嶺ノ屋良祖)

参考文献

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  1. ^ 向氏屋良門中世系図、系図編集委員会

関連項目

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