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京福電気鉄道デオ600形電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
京福電気鉄道デオ600形電車
山中を行くデオ603-デオ604
基本情報
運用者 京福電気鉄道
叡山電鉄
製造所 武庫川車両工業[1]
種車 京福電気鉄道デナ500形(機器類のみ)[1]
製造年 1979年 - 1980年[2]
製造数 6両[1]
投入先 叡山本線・鞍馬線
主要諸元
軌間 1,435 mm
電気方式 直流 600 V
車両定員 100名(座席44名)[4]
自重 30.00 t[4]
最大寸法
(長・幅・高)
15,700 × 2,650 × 4,230 mm[4]
車体長 15,000 mm[3]
車体幅 2,600 mm[3]
車体高 3,633 mm[3]
車体 全鋼製[7]
台車 BW-78-25-AA[2]
固定軸距 2,030 mm[3]
台車中心間距離 10,200 mm[3]
主電動機 TDK-513-T[5]
主電動機出力 48.6 kW[2][5]
搭載数 4 個/両[5]
駆動方式 吊り掛け駆動方式[6]
歯車比 3.136[4]
制御装置 RPC-51[5]
制動装置 SME[5]
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単行時代のデオ600形(二軒茶屋駅旧上りホームにて)

京福電気鉄道デオ600形電車(けいふくでんきてつどうデオ600がたでんしゃ)は、京福電気鉄道1979年から1980年にかけて[2]デナ500形の下回りを流用して新製した[8]電車制御電動車)である。車両記号の「デオ」とは、「デ」が電動車を(ンドウシャ)、「オ」が車体の大きさ(大型 = オガタ)をそれぞれ意味する[1]

概要

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メーカーは武庫川車両工業[2]。デナ500形では装備されていなかった発電制動の取付も行われ[1]二軒茶屋駅より先の急勾配路線に入線できるようになった。デオ300形の経験から車体長15.0m・全長15.7mに抑えられ、以後の叡電車両の標準となった。車体はデオ300形類似であるがより角ばったものとなり[8]、前面は3枚窓貫通形、側面窓配置はdD5D5Dd(dは乗務員室扉、Dは客用扉、数字は扉間の窓の数)である。正面貫通扉上に2つ並んだ小型のヘッドライト[6]と、屋根上に並んだグローブ型ベンチレーターが特徴である。集電装置は当初よりパンタグラフである[7]

連結器はそれまでの車両の(並形)自動連結器から密着自動連結器(従来車ともそのまま連結可)に変更され、その後の全営業車に普及している。台車は抱き合わせ型ブレーキ(505~510)のものが選ばれており(一時期残ったデナ500形には振り替えて使用)その関係から601~604は元阪神881形のU形イコライザーの台車、605・606は元阪神831形の弓形イコライザーの台車を履いている(台車形式は同じ)。

塗色はデオ200形登場以降の京福京都本社時代の標準色であったクリームと緑のツートンカラーで、2008年11月の運用離脱までその塗色は変更されなかった。そのため、京福より叡山線系統を承継した叡山電鉄における京福京都本社標準色を残した最後の旅客車両であった(旅客用以外ではデト1000形が京福京都本社標準色)。

大型化されたこともあり当初は主に単行で使用されたが[1]700系登場以降は番号順(601+602・603+604・605+606)の2両編成で使用されるようになった。なお、その後も単行での使用も考慮されており、1989年(平成元年)のATS取付は全車に実施され、運用離脱まで各車の単独営業運転が可能であった。

改造により冷房装置を搭載するよりも新車導入が有利とされ、比較的若い車齢にもかかわらずデオ900系に置き換えられる形で廃車が進んだが、デオ900系 は計画変更で二編成のみで製造が打ち止めとなり、603+604の2両のみが残存した[1]。しかし冷房装置がないため定期運用に就く機会も減っていた事から2004年(平成16年)1月13日の原則全列車ワンマン運行化に際してもワンマン機器は搭載されず[9]、イベント列車などで使われる以外は予備車の中の予備車的存在となり、一年のうちほとんどの期間は修学院車庫に留置されたままとなっていた。

さよなら運転

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運用最終日のデオ603-デオ604(2008年撮影)
装飾された修学院行き最終電車

2008年10月中は800系電車のデオ815-デオ816「ギャラリートレイン・こもれび」の車内を使って「さよなら600“緑の電車”フォトギャラリー」と題して歴代車両写真を展示し、さよなら運転当日はそれらの写真はさよなら電車内に移された。さよなら運転では久々に営業列車に方向板の取り付けが行われた。1本だけ運転された二軒茶屋宝ケ池行きは、「宝池」の方向板が1つしか現存していなかったためか、鞍馬方の方向板は「臨」が掲出された。

ワンマン機器が取り付けられていない当形式の営業運転に当たっては、ワンマン運転以前のように車掌による車内乗車券の販売が行われた。スルッとKANSAIのカードリーダーが設置されていない当形式の運転にあたって、出町柳駅での案内や乗降口の張り紙によりスルッとKANSAIカードの利用は「控える」よう呼びかけていたが、それでも乗車してしまった乗客に対応するため、予備のカードリーダーが604の連結側の運転席に仮設置された。

2008年11月1日の「さよなら600ラストラン」と題するさよなら運転をもって運用を離脱した。最後の出町柳~二軒茶屋往復運用および最終運転の出町柳発修学院行きには「さよならデオ600形」の装飾が車両の前後に施された。

その後は修学院車庫で休車のサボを出して留置されたが、翌年には廃車解体された。これにより、叡山電鉄からは旧京福時代からの旅客営業車両は消滅し、事業用のデト1000形を除いてカルダン駆動車に統一された。 そして、代替車両も製造される事は無かった。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『現有私鉄概説 叡山電鉄』、64頁
  2. ^ a b c d e 『カラーブックス 日本の私鉄24 近畿』、132頁
  3. ^ a b c d e 『カラーブックス 日本の私鉄24 近畿』、143頁
  4. ^ a b c d 『現有私鉄概説 叡山電鉄』、66頁
  5. ^ a b c d e 『関西地方のローカル私鉄 現況2 京福電気鉄道』、104頁
  6. ^ a b 『関西地方のローカル私鉄 現況2 京福電気鉄道』、101頁
  7. ^ a b 『関西地方のローカル私鉄 現況2 京福電気鉄道』、100頁
  8. ^ a b 『カラーブックス 日本の私鉄24 近畿』、21頁
  9. ^ 一部臨時運行の際は移動式の運賃精算機を車輌に乗せてカード関係の利用の際の処理を行っていた

参考文献

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  • 井上広和・高橋摂『カラーブックス 日本の私鉄24 近畿』保育社、1983年。ISBN 978-4586505982 
  • 松原淳「関西地方のローカル私鉄 現況2 京福電気鉄道」『鉄道ピクトリアル』通巻第445号、鉄道図書刊行会、1985年3月、98 - 104頁。 
  • 島本由紀「現有私鉄概説 叡山電鉄」『鉄道ピクトリアル』通巻第685号、鉄道図書刊行会、2000年5月、61 - 66頁。