ボヤンマンダフ
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(博彦満都から転送)
ボヤンマンダフ | |
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プロフィール | |
出生: | 1894年(清光緒19年) |
死去: |
1980年 中国 |
出身地: | 清盛京将軍管轄区奉天府康平県 |
職業: | 政治家 |
各種表記 | |
繁体字: | 博彥滿都 |
簡体字: | 博彦满都 |
拼音: | Bóyànmǎndōu |
ラテン字: | Buyanmanduqu(Bo-yen-man-dou) |
和名表記: | ボヤンマンダフ |
発音転記: | ボーイェンマンドウ |
ボヤンマンダフ(モンゴル語:ᠪᠤᠶᠠᠨᠮᠠᠨᠳᠤᠬᠤ Бyян мандах、Buyanmanduqu)は、中華民国・満州国・中華人民共和国の政治家。モンゴル族。漢語表記は博彦満都、漢名は包雲蔚、字は豹忱。
事跡
[編集]1925年に内モンゴル人民革命党に参加し、中央執行委員候補兼ジェリム盟支部長となった。1932年(大同元年)4月、ボヤンマンダフは満州国の興安南省民政庁長に就任する。1942年(康徳9年)4月、興安南省省長に昇進した。翌1943年(康徳10年)10月、興安総省成立とともに、興安総省省長に昇格し、満州国滅亡まで同職にあった。なおこの期間にあっても、ボヤンマンダフは中国共産党の人士を密かに庇護し、経済的支援も与えている。
満州国滅亡後の1946年(民国35年)1月、ボヤンマンダフはモンゴル族上流階層の人物を率いて、ヒンガン盟(興安盟)の葛根廟において東モンゴル自治政府を組織し、自ら主席に就任した。しかし同年5月、ウランフが組織した内モンゴル自治運動連合会に合流し、その副主席に任ぜられている。
1947年に内モンゴル自治区が成立すると、ボヤンマンダフもこれに参加した。以後、内モンゴル自治政府第1期臨時参議会議長、内モンゴル自治区人民政府委員、参事室主任、自治区政治協商会議常務委員、中国人民政治協商会議全国委員会第3~5期委員を歴任した。
1980年、死去。享年87。
参考文献
[編集]- 二木博史「ボヤンマンダフと内モンゴル自治運動」『東京外国語大学論集』第64巻、東京外国語大学、2002年、67-88頁、ISSN 0493-4342、NAID 110001044816。
- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
満州国
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東モンゴル自治政府
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