北海道小樽商業高等学校
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(北海道小樽緑陵高等学校から転送)
北海道小樽商業高等学校 | |
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北緯43度11分25.5秒 東経140度58分57.6秒 / 北緯43.190417度 東経140.982667度座標: 北緯43度11分25.5秒 東経140度58分57.6秒 / 北緯43.190417度 東経140.982667度 | |
過去の名称 |
北海道庁立小樽商業学校 北海道立小樽商業学校 北海道立小樽商業高等学校 北海道小樽緑陵高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 北海道 |
校訓 |
四恩を感謝すべし 至誠勉励を旨とし各自の本分を尽すべし 運動を励み身体を鍛錬すべし |
設立年月日 | 1913年 |
閉校年月日 | 2020年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程・定時制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
商業科 情報処理科(全日制) |
学期 | 2学期制 |
高校コード | 01163A |
所在地 | 〒047-0034 |
北海道小樽市緑3-4-1 | |
外部リンク | 公式サイト at Archive.is (archived 2020年6月8日) |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
北海道小樽商業高等学校(ほっかいどうおたるしょうぎょうこうとうがっこう、Hokkaido Otaru Commercial High School)は、かつて北海道小樽市にあった公立(道立)の高等学校である。 2018年に生徒募集停止、北海道小樽工業高等学校と統合して北海道小樽未来創造高等学校となった。2020年(令和2年)3月末日をもって閉校。なお、校地は2022年から国立小樽海上技術短期大学校となる[1][2]。
沿革
[編集]- 1913年(大正2年)- 北海道庁立小樽商業学校として開校。
- 1947年(昭和22年)- 北海道立小樽商業学校に改称する。
- 1948年(昭和23年)- 北海道立小樽商業高等学校となる。男女共学となる。
- 1950年(昭和25年)- 北海道小樽緑陵高等学校に改称。
- 1966年(昭和41年)- 北海道小樽商業高等学校に改称
- 2011年(平成23年)- 定時制課程の募集を停止。
- 2018年(平成30年)- 生徒募集停止、北海道小樽工業高等学校と統合。
- 2020年(令和2年)3月31日 - 閉校[3]。
教育課程
[編集]- 全日制課程
- 商業科
- 情報処理科
- 定時制課程
- 商業科
特色
[編集]- 全校生徒の9割以上を女子生徒が占めている。2006年9月時点では女子439人に対し男子はわずか9人である。
- 水泳部(現在は休部)は全国大会出場歴がある。
- 2004年より2006年まで教育の一環として「おたる屋台村レンガ横丁」に夏季限定で「RYOKURYOパーラー」を開店していた。
出身者
[編集]- 北潟谷仁(弁護士)
- 喜多了祐(一橋大学名誉教授)
- 小林多喜二(作家)
- 中田乙一(元三菱地所社長)
- 山中燁子(元衆議院議員)
- 青地清二(スキージャンプ選手)
- 上参郷祐康(東京芸術大学名誉教授)
- 北村正司(小樽商科大学短期大学部名誉教授、小樽女子短期大学学長)
- 内藤幸三(元プロ野球選手)
- 石河英夫(会計学者、小樽商科大学名誉教授、札幌学院大学学長)
- 保志忠彦(第一興商創業者)
関連項目
[編集]- 北海道高等学校一覧
- 日本の商業に関する学科設置高等学校一覧
- 最終兵器彼女 - 主人公が通う高校のモデルとされており、映画ではロケ地にも使用された。
脚注
[編集]- ^ “国立小樽海上技術短期大学校 2021年4月開校(A3パンフ)”. 国立小樽海上技術短期大学校. 2021年4月7日閲覧。
- ^ “国立小樽海上技術短期大学校2022”. 国立小樽海上技術短期大学校. 2021年6月19日閲覧。
- ^ 「106年の歴史に幕 小樽商業高校閉校記念式典」『小樽ジャーナル』2019年11月9日。オリジナルの2020年6月8日時点におけるアーカイブ。2020年6月8日閲覧。
外部リンク
[編集]- 北海道小樽商業高等学校 at Archive.is (archived 2020年6月8日)