化林性偀
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化林性偀 | |
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1596年 - 1667年 | |
生地 | 福建省福州府福清県三山 |
宗派 | 臨済宗黄檗派 |
寺院 | 崇福寺、黄檗山萬福寺、福聚寺 |
師 | 即非如一 |
化林性偀(けりん しょうえい、万暦24年2月2日(1596年) - 寛文7年6月3日(1667年))は、江戸時代に清初の中国から渡来した黄檗僧。
法諱を性合のちに性偀、道号を化林と称した。福建省福州府福清県三山の人。
略歴
[編集]儒学と医学を修めたが、明朝滅亡後支堤山に隠逸。順治9年(1652年)、雪峰山崇聖寺の即非如一に参禅し出家した。即非が日本に渡来した8年後の万治3年(1660年)に長崎に渡来。寛文3年(1663年)、即非が宇治の萬福寺に赴くと崇福寺の監寺についた。寛文5年(1665年)、即非に招かれて福聚寺の後堂となった。晩年、崇福寺第4代住持となったが、寛文7年(1667年)に示寂。享年74。
化林は文人気質があふれる山水図・墨竹図などを能くした。独立性易と共に日本で最も早く文人画を画いたとされる。のちに和僧の蘭谷元定・百拙元養にも影響を与えている。
作品
[編集]- 「墨竹図」寛文6年(1666年)
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 大槻幹郎著 『文人画家の譜』ぺりかん社 ISBN 4831508985