前川槙造
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前川 槙造(槇造、まえかわ まきぞう、1860年3月7日(万延元年2月15日[1])- 1902年(明治35年)7月12日[2][3])は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]但馬国朝来郡、のちの兵庫県朝来郡竹田村(竹田町[1][3][4]、和田山町を経て現朝来市)で生まれた。郷里の習田雪峰に師事し漢学を修めた[1]。1876年(明治9年)上京して官立外国語学校(のち東京外国語学校)に入学し仏語科で学んだが中退[1]。1884年(明治17年)東京専門学校(現早稲田大学)に入り政治学、経済学を学んで[1]1887年(明治20年)に卒業し帰郷した[1][2][3][4]。
1888年(明治21年)2月、大阪府会議員に選出され、同常置委員、同副議長に在任[1][2][3][4]。その他、南区徴兵参事員、府立大阪博物場協議員、地方衛生会員、市立大阪商業学校商議員、大阪市水道敷設委員、第4回内国勧業博覧会事業取調委員、大阪築港取調相談役なども務めた[1][2][3][4]。
実業界では、日本舎密製造取締役、朝日商社社長、阪神電気鉄道専務取締役、中央セメント監査役、大阪商業会議所副会頭などを務めた[1][2][3][4]。
1894年(明治27年)3月の第3回衆議院議員総選挙(大阪府第3区、無所属)で初当選し[1][5]、その後、第6回総選挙まで再選され[6]、衆議院議員に連続4期在任した[2][3]。議員在任中の1902年7月に死去した[7]。
国政選挙歴
[編集]- 第3回衆議院議員総選挙(大阪府第3区、1894年3月、無所属)当選[1][5]
- 第4回衆議院議員総選挙(大阪府第3区、1894年9月、大手倶楽部)当選[1][6]
- 第5回衆議院議員総選挙(大阪府第3区、1898年3月、無所属)当選[1][6]
- 第6回衆議院議員総選挙(大阪府第3区、1898年8月、無所属)当選[1][6]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1900年。
- 山崎謙 編『衆議院議員列伝』衆議院議員列伝発行所、1901年。
- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。