利用者:IonianWind/Nyurutanさんについて
主として管理者の方にご覧いただきたいのですが、 Nyurutan氏がここ2~3ヵ月ほどの間に行ってきたことは、およそ次のようなことになります。
まず特に悪質な行為を指摘しておきます。
Nyurutanは2010年7月8日 (木) 14:23に西洋哲学のページを意図的に白紙化しました。 Nyurutanは明らかな荒らし行為を意図的に行ったわけです。本来ならこれだけでも即時投稿ブロックに相当する行為でしょう。
他にも、
本来なら、記事加筆にあたっては近年の学問的な成果を踏まえて文献を選び加筆すべきところだったはずなのに
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- よりによって150年も前の古い文献を選んで、記事を加筆してしまい (主要文献選びの失敗)
- さらに、出典に書かれてもいない、学問以前の代物であるホイッグ史観的な主張を、さも出典に書かれているかのように大量に書き込み(出典の偽造) (一部、後述)
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Nyurutanさんの投稿の問題点を指摘してくれたOnyx氏のことを憎み、忠告に耳を傾けようともせず、 (対話の拒絶) (→「ノート:哲学史#ヨーロッパ哲学」にて確認可能)
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さらに後に、別の角度から問題点を指摘した 私IonianWindのことも憎み、IonianWindのことを「Onyx氏のソックパペットだ」などと騒ぎたて (無反省、デマの吹聴)
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注意して下さった方々に対して誹謗中傷を執拗に繰り返し
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Onyx氏 IonianWind以外にも、文献を実際に検証した おーた氏からもNyurutan氏の投稿内容に疑義が示された[1]にもかかわらず、ろくに反省せず (無反省)
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反省しないものだから、どうしても自分が正しいと思いたくて、 「Onyx氏 とIonianWindが同一説」にしがみつくことで、自分は間違っていなかったのだと思いたがり、注意した二人に対して誹謗中傷とデマの吹聴を繰り返し
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哲学史の記事に 数か月分にも当たる暴力的なリバートを行うことで、他のウィキペディアンの加筆部分まで勝手に大量消去してしまい(明らかな荒らし行為、他の投稿者の貢献への暴力行為) [2]
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その上で、まだ反省せず、執拗に誹謗中傷を繰り返す。
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もういい加減にしていただきたい、と思った私IonianWindが、Onyx氏の会話ページで話しかけ、対応策を提案していることを "工作"などと呼び[3]、 さらには会話に横から無理矢理 割りこんで妨害行為を行う。[4]
(IonianWind 2010年8月5日)
先日、【哲学史】に掲載されている、他者によって投稿された文章に出典を補う作業や、出典の検証作業をしてしていて気づいたのだが、Nyurutanさんの投稿には、滅茶苦茶な要約による明らかに間違った記述、独自の研究、あるいは出典の偽造といってもいいような文章がいくつも混入している。私にとっては、ウィキペディアン個人のことを追及することは、全然本意ではなく、せっかく善意で投稿している個人の心を傷つけたくないのだが、特定の加筆のミスによって、明らかに記事の品質が低下しているので、備忘録的にここに書いておくことにする。
例えば、次の文章。
ソクラテスの時代以降の古代ギリシアでは、客観的な学問的献身を欠く主観論が支配的となった。ストア学派とエピクロス学派はそれぞれ己の立場からの独断論に過ぎなかったし、新プラトン主義に代表される懐疑論は独断論を否定する主観論に過ぎなかった。そこでは、調停不可能な不毛な論争が繰り返されるだけだったのである。
上記の文章はNyurutanさんによって2010 年5月4日 (火) 05:30の投稿[5]によって掲載されたものだが、そこに「新プラトン主義に代表される懐疑論は....」などという文章を練りこんでしまっていて、そこに「シュヴェーグラー・上掲書(上)・211頁」などともっともらしい出典表記をしている。
ところが、実際に私自身がシュヴェーグラーの同書の該当ページおよびその前後を確認してみると、シュヴェーグラーは " 新プラトン主義に代表される懐疑論" という言い回しも用いていないし、" 懐疑主義は新プラトン主義に代表される" だとか、それに類することは一切述べていない。これは、Nyurutanさんはシュヴェーグラーが書いてもいない、まったく間違ったな文章を、あたかもシュヴェーグラーの本に書いてあるかのようにWikipediaに表示しているということになる。これではWikipediaでは禁止されていて、近年ウィキペディア管理者の方々も神経を尖らせている出典の偽造になってしまっている。
シュヴェーグラーが本当は新プラトン主義については何を言っているのか同書で確認してみると、3頁後ろの214頁で、「新プラトン主義も、同じ主観性の性格をもっている。」とは述べている。シュヴェーグラーのこの文章ならば、合点がゆく。そういう説明のしかたもあり得る、と思わせる文章だ。
因みに、新プラトン主義というのは正しくは(正確を期すためにあらためて哲学事典類を参照してみると)、およそ次のようなものです)
- 新プラトン主義とは、「世界は <<善>>、<<ヌース>>、<<プシュケー>>の三階層になっており、各階層は上位者の充溢による<<流出>>emanatioから生ずる」と考えたり、「魂が<<一者>>にまで上昇するのは、外的感覚を遮断し、内なる知性を通して自己の根拠を直感することによる[1]」としたり、「各自の魂の救済を目指す宗教的実践の意味を持つ[2]」もので、「できる限り神に似たものとなることを目指し[3]」たりするものである。
つまり新プラトン主義は、懐疑主義とは全然別ものであって、どちらかと言えば宗教的で、懐疑主義とは反対の方向性を持ったものといえる。(形容のしかたというのは、視点によるものであるという前提はあるが)シュヴェーグラーが「主観性の性格を持っている」と形容したのは、19世紀の学者なりに筋が通っていて、それはそれで評価できる。
まともな学者なら、絶対に「新プラトン主義に代表される懐疑論は...」などという間違った文章は書かない。もしシュヴェーグラー自身が今のWikipediaの【哲学史】を見たら、「私はそんなことは全然書いていませんよ。ただちに訂正して下さい。」と言うであろう。
いろいろ総合的に分析してみると、どうやらNyurutanさんは、シュヴェーグラーの哲学史のp.211~215に現れる大量の文章の中から、よく理解しないままに、多数の用語をピックアップし、滅茶苦茶に組み合わせてしまって、著者が言おうとしていない文や、明らかに間違っている文を合成してしまっているように見える。
Nyurutanさんによって【哲学史】に投稿された文章を読んだ時は、あまりに変で、不正確な知識が書かれている文章だとの印象を得ていたが、そしてNyurutanが出典としてシュヴェーグラーを挙げていたから、まるでシュヴェーグラーが間違ったことばかりを述べていたかのように思い込まされてしまっていたが、実は事の真相としては、違うことが多々起きているのではないか? おかしなことを書いているのはシュヴェーグラーというよりも、むしろ、シュヴェーグラーの文章を正確に要約しなかったり、互いに離れたページに書いてある言葉を滅茶苦茶に組み合わせて、シュヴェーグラーの言っていることとは反対のことを書いたり、うろ覚えの概念を組み合わせて間違った知識を表示文に混入させてしまっているNyurutanさん個人の責任の比率が多いのではないか?
(IonianWind 2010年7月14日)
私は最初はNyurutanに同情もしていたが、Onyx氏を冤罪で苦しめつづけ、チェックユーザによってOnyx氏がIonianWindとは全くの別人と判明した後も、NyurutanときたらOnyx氏に対して全然謝罪しようともしない。非常識の極み。まず自分の非は非として認め、謝るところはしっかりと謝ることをして、ようやく人間として扱ってもらえる、という社会人のルールの基本も理解していない。それどころか、Nyurutanはその後も、とても社会人とは思えないような非常識で常軌を逸した行動を延々と続けている。Onyx氏が腹を立てるのもそれ相応の理由がある。もうこれは許しがたい段階にきている。仏の顔も何とやらという。コミュニティとしてNyurutanに対して何か措置をとるべきだろう。
(IonianWind 2010年11月17日)