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切石 (身延町)

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切石宿から転送)
日本 > 山梨県 > 南巨摩郡 > 身延町 > 切石 (身延町)
切石
切石付近の空中写真。1976年撮影。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
切石付近の空中写真。1976年撮影。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
切石の位置(山梨県内)
切石
切石
切石の位置
北緯35度27分56.01秒 東経138度26分27.24秒 / 北緯35.4655583度 東経138.4409000度 / 35.4655583; 138.4409000
日本の旗 日本
都道府県 山梨県
南巨摩郡
市町村 身延町
人口
2015年(平成27年)10月1日現在)[1]
 • 合計 173人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
409-3304[2]
市外局番 0556 (鰍沢青柳MA)[3]
ナンバープレート 山梨

切石(きりいし)は、山梨県南巨摩郡身延町の地名である。郵便番号は409-3304[2]

地理

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富士川赤石山脈の間にあり、縦に細長い街並みが続いている。古くから甲斐国駿河国を結ぶ駿州往還の宿場が設けられ、現在では身延町の役場が設けられている。川と山脈の間にあり、特に南側の八日市場へ続く道は日下り道(ひさがりみち)と言われ当地区は昔から交通の難所とされている。

また当地区には気象庁アメダスが設けられており、山梨県内の天気予報では当地区の名前が頻繁に出てくる。

歴史

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江戸時代の『甲斐国志』によると鰍沢宿から二里二六町、下山宿から一里二三町にあると記述されている。戦国時代の河内領主・穴山信君の発給文書には当宿場町の名前はなく、寛永の頃に切石宿(きりいししゅく)という宿場が設けられたとされている。北側から上宿、中宿、下宿と縦に細長い宿場町であり、中宿には名主宅を兼ねた本陣が設けられていた。[4]また、中宿と下宿の間に夜子沢川(よごさわかわ)が流れ、江戸時代は「切石の渡し」と呼ばれる渡し船で渡河を行っていたほか、切石河岸は富士川舟運の中継河港としてもその役割を担っていた。[4]

1872年明治5年)に実施された県内80区制において巨摩郡切石村となり、1889年明治22年)に周辺の手打沢村、寺沢村、夜子沢村と合併し、「南巨摩郡切石村」と名前が引き継がれたが、1892年(明治25年)に静川村に改称されている。1954年(昭和29年)の「昭和の大合併」で「南巨摩郡中富町切石」となり、さらに2004年(平成16年)には身延町・下部町と合併したことにより「南巨摩郡身延町切石」となり現在に至る。

世帯数と人口

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2015年(平成27年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

大字 世帯数 人口
切石 72世帯 173人

交通

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道路
富士川の対岸の下田原地区にある。
山梨県と静岡県を結ぶ一般国道。同地区に富士川橋があるが、復員が狭い。中部横断自動車道中富インターチェンジが開通した際大型車通行用に国道52号を通り南へ約1kmの場所に中富橋が架橋されている。
富士川橋を渡ると中部横断自動車道中富インターチェンジがあり、さらに久那土駅方面へ伸びている。
以前は山梨県道418号曙静川線であった。なお、山梨県道418号は現在欠番となっている。
路線バス
高速バス

施設

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脚注

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  1. ^ a b 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat)”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2018年9月24日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月27日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2018年9月26日閲覧。
  4. ^ a b 身延町地域資料より