出羽海運右エ門
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(出羽ノ海金蔵から転送)
出羽海 運右衛門(でわのうみ うんえもん、宝暦9年(1759年) - 文化6年1月4日(1809年2月17日))は、出羽国田川郡国見村玉川(現・鶴岡市羽黒町玉川地区)出身[1]の、大相撲力士。本名は叶野 金蔵[1]、清水 運右衛門。前頭筆頭。年寄名は出羽ノ海。
人物
[編集]艫綱良助より勧められて入門し、最高位は前頭筆頭であった。庄内藩主酒井家から「出羽ノ海」の名が与えられ[1]、初代・出羽ノ海となり、力士出身の歴代日本相撲協会理事長11人のうち6人を輩出(2019年現在)[注釈 1]している相撲界随一の名門・出羽海一門の本家・出羽海部屋の開祖となった。
通算成績は、18場所38勝43敗19分3預11無39休である。
略歴
[編集]- 1759年、出羽国田川郡国見村玉川の農家に誕生する[1]。
- 17歳の時に艫綱部屋に入門し、玉川浪右衛門と名乗る[1]。
- 1777年、初土俵。
- 1786年、新入幕。出羽ノ海金蔵と名乗る[1]。西前頭3枚目、4勝2敗3分1休。
- 1789年、岡山藩主池田家に抱えられる[1]。
- 1791年3月、出羽ノ海運右衛門を名乗る[1]。
- 1792年4月、東前頭筆頭、3勝2敗2分2無1休。
- 1794年、庄内藩の抱え力士となる。
- 1799年、最終。東前頭6枚目、2勝4敗1休。
- 1809年、死去する。享年50
- 1958年11月 - 羽黒町玉川の玉川寺境内に「初代出羽海碑」が建立[1]。