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カクキュー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
八丁味噌の郷から転送)
合資会社八丁味噌
HATCHO MISO Limited Partnership[1]
本社事務所
種類 合資会社
本社所在地 日本の旗 日本
444-0925
愛知県岡崎市八丁町69番地
設立 1932年昭和7年)3月10日
業種 食料品
法人番号 3180303000222 ウィキデータを編集
事業内容 八丁味噌の製造販売
代表者 代表社員 早川久右衛門
資本金 300万円
売上高 11億円[2]
従業員数 55名[2]
決算期 6月30日
外部リンク https://www.kakukyu.jp/
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カクキューは、愛知県岡崎市八丁町に本社がある「合資会社八丁味噌」[注 1]屋号[2]。「八丁味噌」は固有の商標ではなく、ほかにも製造業者が存在するため、本記事では合資会社八丁味噌について述べる。

沿革・概要

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宮内省御用達をうたった広告(1915年)[4]

江戸3代将軍徳川家光の時代に当たる正保年間(1645年 - 1648年)に、岡崎城から西に八(873メートル)の三河国八丁村(現在の愛知県岡崎市八帖町)で創業した。早川家が1878年明治11年)に愛知県庁に提出した上申書には同家の創業は「1645年(正保2年)」と記されている[5]安政2年(1855年)に大樹寺の本堂、大方丈などが焼失した際、再建のため江戸から派遣された見分役は「味噌は八丁味噌とて名物也。百文は三百三十匁又三百五十匁自位也。八丁村に問屋二軒あり」と手記にしたためた[6]

正方形の枠内に太い隷書体の「久」のマークは、歴代当主(現在は社長。ただし、同社は合資会社組織であるためその正式な肩書は「代表社員」となる)が代々、早川久右衞門(はやかわ きゅうえもん)を名乗っていることによる。現社長は19代目の当主になる。

1892年(明治25年)から宮内省への味噌納入を開始し[7]1901年(明治34年)12月28日、宮内省御用達を拝命した[2]

1927年(昭和2年)11月23日、本社事務所を現在地へ移した[8]

1932年(昭和7年)3月10日、個人商店から「合資会社早川久右衞門商店」に改組した[9]

戦後

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1950年代の広告

1955年(昭和30年)3月1日、大阪味噌食品株式会社(現・株式会社ジャポニックス)[10]はカクキューへ八丁味噌を1200貫(4500キロ)注文した[11]。この頃、関西では、米味噌と豆味噌を混合した味噌(赤だし味噌)が大阪のメーカーで製造され、各社の印を付けて小売店で量り売りされていた。

1957年(昭和32年)、大阪味噌食品はカクキューに赤だし味噌の製造販売を提案。さらに、もし製造ができるのなら米味噌メーカーとして富山県上市町日本海味噌醤油を紹介してもよいと言い添えた。同年7月2日、大阪味噌食品の土屋勇社長、日本海味噌醤油の嶋川専務、大阪の八丁味噌特約店である間瀬商店の間瀬米治、カクキューの早川久右衞門らは一堂に会し、最高級の「赤だし八丁味噌」をつくり、珍味屋、料理屋への販路を開拓する方針を決めた。翌7月3日、間瀬米治が日本海味噌醤油の米味噌70パーセント、八丁味噌30パーセント、カラメル、光沢と甘みを出す水飴、化学調味料を用い、混合加熱すり器(寄本式)ですりあげて試作品を作った[12]

1959年(昭和34年)、赤だし味噌の300グラム入り小袋詰をスーパーマーケットに売り込んだ。これが大きな成功となり、赤だし味噌はカクキューの総売り上げの80パーセントを占めるまでに至った[12]

1963年(昭和38年)9月、「八丁味噌カクキュー合資会社」に社名変更[2]

1981年(昭和56年)10月に「合資会社八丁味噌」に社名変更すると[2]、早速、自社の社名を商標登録する動きに出る。同年12月23日、合資会社八丁味噌は、指定商品を第三一類「調味料香辛料 食用油脂 乳製品」として、「合資会社八丁味噌」なる商標を出願した。1983年(昭和58年)3月31日、特許庁はこれに対し拒絶査定を下した。同年6月9日、合資会社八丁味噌は審判を請求。1989年(平成元年)3月23日、不成立の審決が出る。さらに争うも、1990年(平成2年)4月12日、東京高裁は請求を棄却した[13]

2006年(平成18年)4月に放映が開始されたNHK連続テレビ小説純情きらり』では、まるや八丁味噌とともに舞台となり、撮影現場としても工場が使用された。

2009年(平成21年)2月23日、本社屋と史料館が近代化産業遺産に認定された[2]

2017年(平成29年)12月15日、農林水産省は県内39社(当時)の業者から成る「愛知県味噌溜醤油工業協同組合」を八丁味噌の生産者団体として地理的表示(GI)に登録[14]。組合員ではない岡崎の2社(カクキュー、まるや八丁味噌)はGIから除外された。2社は行政不服審査請求を行ったが、農水省は2021年(令和3年)3月19日に請求を棄却する裁決を下した[15][16]。まるや八丁味噌は同年9月17日、登録取り消しを求めて東京地裁に提訴した[17][18]。カクキューは法廷闘争には加わらず静観[19]。最高裁は2024年(令和6年)3月6日付でまるや八丁味噌の上告を退ける決定をし、 同社の敗訴が確定した[20]

2022年(令和4年)12月26日、八帖町から八丁町が分離[21][22]。これに伴い本店住所が「八帖町字往還通69番地」から「八丁町69番地」に変更された[23]

施設

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本社事務所
1996年平成8年)12月20日、本社蔵とともに国の登録有形文化財に登録された[24]。本社事務所は1927年昭和2年)の建築。2階の外観はバシリカ式教会堂風の構成となっている。
2014年(平成26年)10月30日、各蔵とともに市の景観重要建造物に指定された[25][26]
本社蔵(史料館)
1907年(明治40年)に味噌蔵として建てられた。木造二階建、瓦葺、建築面積463平方メートル[27]1991年(平成3年)12月1日、史料館として改修された。内部のデザインは松坂屋が行った[28][26]
岡崎カクキュー八丁村
2017年(平成29年)3月19日、本社内に洋食店・中華料理店・カフェの3店舗が入ったフードコート「岡崎カクキュー八丁村」がオープンした。いずれも八丁味噌を使った料理を提供する[29][30]2018年(平成30年)7月からは中華料理店のかわりに「食事処休右衛門」が入った[31]
工場見学・売店施設
昭和50年代に入ると、工場見学の希望が一般から寄せられるようになった。当初は仕込み蔵だけを開放し、経理担当者が案内役を務めた。1980年(昭和55年)3月、同担当者が退職。説明者が不在となり、工場見学は中断する。1983年(昭和58年)1月9日に大河ドラマ『徳川家康』の放映が始まると、問い合わせが増え、同月から総務担当者を案内役として工場見学は再開した[32]。史料館開設などで従来の態勢では不十分となり、1993年(平成5年)4月に本格的売店を開設した。1998年(平成10年)1月、増築[33]。工場見学、売店等の部門は関連会社の「株式会社カクキュー八丁味噌」(法人番号1180301002874)がつかさどっている。

主な商品

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  • 三河産大豆八丁味噌
  • 有機八丁味噌
  • 赤出し味噌
  • 無添加赤出し味噌
  • 赤出し味噌 もみじ印
  • 八丁R味噌煮込みうどん(2人前)
  • 八丁の味噌ラーメン(2人前)
  • 岡崎のどて
  • 田楽味噌
  • 味噌カツのたれ
  • 味噌ソフトクリーム

ギャラリー

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周辺の道路

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脚注

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注釈

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  1. ^ 会社名の噌の字は、ロゴタイプでは複雑ではないほう[3]。本社内建物の表記はこちら(File:Hatcho-Miso-Kakukyu-1.jpg)。

出典

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  1. ^ 公式サイトの英語版ページ(2021](令和3年)10月23日閲覧)
  2. ^ a b c d e f g 会社概要/沿革”. 合資会社 八丁味噌. 2022年2月23日閲覧。
  3. ^ 岡崎ものづくり推進協議会による紹介ページ
  4. ^ 岡田太良次郎編『岡崎』家康忠勝両公三百年大祭岡崎協賛会、1915年4月15日。
  5. ^ 新編岡崎市史 近世, pp. 1265–1267.
  6. ^ 『図説 岡崎・額田の歴史』上巻, pp. 242–245.
  7. ^ 企業の長期存続と経営戦略に関する調査研究 - 企業活力研究所
  8. ^ カクキュー山越え谷越え350年, p. 167.
  9. ^ 早川 久右衛門「八丁味噌」『日本釀造協會雜誌』第79巻第7号、日本醸造協会、1984年、490-490頁、doi:10.6013/jbrewsocjapan1915.79.490ISSN 0369-416X2022年4月4日閲覧 
  10. ^ 会社概要”. 株式会社ジャポニックス. 2023年2月27日閲覧。
  11. ^ カクキュー山越え谷越え350年, p. 147.
  12. ^ a b ダイジェスト版・カクキュー八丁味噌の歩んだ三百五十年, pp. 18–19.
  13. ^ 平成1年 (行ケ) 112号”. 商標判例データベース. アスタミューゼ株式会社. 2022年2月25日閲覧。
  14. ^ 第49号:八丁味噌”. 農林水産省 (2017年12月15日). 2024年3月11日閲覧。
  15. ^ “「八丁味噌」GI登録 業者の不服請求、農水省棄却裁決 /愛知”. 毎日新聞. (2021年3月22日). https://mainichi.jp/articles/20210322/ddl/k23/040/107000c 2021年3月23日閲覧。 
  16. ^ 「八丁味噌」に関する行政不服審査請求の裁決書 2021.
  17. ^ “八丁味噌取り消し求め提訴 「生産方法異なる」と老舗”. 日本経済新聞. (2021年9月24日). https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFD243TW0U1A920C2000000/ 2022年1月6日閲覧。 
  18. ^ 『中日新聞』2021年9月23日付朝刊、11版、26面、「八丁味噌GI 老舗が提訴 農水省に取り消し求める」。
  19. ^ 田中恭太 (2023年3月8日). “「八丁味噌」めぐる訴訟、二審も愛知・岡崎の老舗が敗訴 知財高裁”. 朝日新聞. 2023年3月9日閲覧。
  20. ^ 八丁味噌、老舗の敗訴確定 表示登録訴訟、名称に制限”. 東京新聞 (2024年3月7日). 2024年3月7日閲覧。
  21. ^ 川瀬慎一朗 (2022年12月21日). “愛知県岡崎市八帖町が「八丁町」に 市議会可決、みそメーカー支援”. 毎日新聞. 2022年12月22日閲覧。
  22. ^ 地理的表示保護制度の見直し支援に係る八帖町の一部の町名変更について”. 岡崎市 (2022年11月18日). 2022年12月26日閲覧。
  23. ^ 合資会社 八丁味噌|株式会社 カクキュー八丁味噌
  24. ^ 八丁味噌本社事務所・蔵(史料館)文化財ナビ愛知
  25. ^ 景観重要建造物 | 岡崎市ホームページ
  26. ^ a b 『岡崎市歴史的風致維持向上計画』第2章 05 郷土食の八丁味噌造りにみる歴史的風致”. 岡崎市ホームページ (2023年7月14日). 2024年1月17日閲覧。
  27. ^ 八丁味噌の郷 蔵|株式会社 カクキュー八丁味噌
  28. ^ 八丁味噌の郷 史料館|株式会社 カクキュー八丁味噌
  29. ^ 岡崎カクキュー八丁村|株式会社 カクキュー八丁味噌
  30. ^ “八丁味噌グルメを提案 岡崎に「屋台村」オープン”. 中日新聞. (2017年3月21日). オリジナルの2017年3月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170321051655/https://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20170321/CK2017032102000045.html 2017年4月14日閲覧。 
  31. ^ お食事処 休右衛門|株式会社 カクキュー八丁味噌
  32. ^ ダイジェスト版・カクキュー八丁味噌の歩んだ三百五十年, p. 23.
  33. ^ 八丁味噌の郷 売店・休憩施設|株式会社 カクキュー八丁味噌

参考文献

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地理的表示関連
その他
  • 『新編 岡崎市史 近世 3』新編岡崎市史編さん委員会、1992年7月1日。 
  • 『図説 岡崎・額田の歴史』 上巻、郷土出版社、1996年4月20日。ISBN 978-4876700790 
  • 『ダイジェスト版・カクキュー八丁味噌の歩んだ三百五十年』合資会社八丁味噌史料室、1995年12月。 
  • 『カクキュー山越え谷越え350年』合資会社八丁味噌史料室、2000年9月1日。 

外部リンク

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