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入鹿山且朗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
入鹿山勝郎から転送)
入鹿山 且朗
生誕 1906年3月10日
鹿児島県日置郡吉利村(現・日置市
死没 1977年9月27日
国籍 日本の旗 日本
研究分野 気候衛生学、疫学食品衛生
研究機関 熊本大学
出身校 京都帝国大学医学部
プロジェクト:人物伝
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入鹿山 且朗(いるかやま かつろう、旧名・入鹿山 勝郎[1][2]1906年明治39年)3月10日[3] - 1977年昭和52年)9月27日)は、日本の医学者・衛生学者。熊本大学名誉教授水俣病の原因物質特定に貢献した。専門は気候衛生学、疫学食品衛生[4]医学博士

経歴

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1906年鹿児島県日置郡吉利村(現・日置市)に生まれる[4][5][6]。祖父は小松帯刀の侍医で、父も医者[5]鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)静岡高等学校 (旧制)を経て、1932年京都帝国大学医学部卒業[4][5]戸田正三教授の衛生学に入室[2]1936年11月、「衣服の熱学的研究」で京都帝国大学より医学博士[7]

1936年11月[2]、大阪市立衛生研究所に入る[1][8]1938年厚生省発足と同時に入局して[1]衛生局技官[2]太平洋戦争中の1942年9月[2]、陸軍軍政部付医官[4][5]としてシンガポールスマトラ方面軍政部(昭南軍政監部[2])に赴任[1][8]1943年8月より[2]スマトラメダン病理学研究所所長を務め[1][2]熱帯病研究に取り組んだ[4]

1946年5月に[2]復員し厚生省衛生局・予防局を経て[1][2]1949年8月[2]名古屋女子医科大学(翌年の学制改革名古屋市立大学医学部)教授となり、1952年9月[2]熊本大学医学部教授就任[1][4][8]1958年の第28回日本衛生学会で会長を務める[4]。水俣病研究の功績により熊本大学医学部研究班として1968年に西日本文化賞を受賞[2]。熊本大学医学部教授を1971年3月に定年退官し[2]名誉教授[1][4][8]。熊本大学退官後は尚絅短期大学教授も務めた[1][2]

水俣病研究

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1956年、熊本大学医学部水俣病医学研究班に加わり、喜田村正次と疫学調査を担当する。1960年10月、新日本窒素肥料(現・チッソ)水俣工場アセトアルデヒド酢酸設備内の水銀スラッジを採取し、1962年8月、アセトアルデヒド酢酸工場の水銀滓と水俣湾のアサリから塩化メチル水銀を抽出と論文で発表。

1963年2月16日、熊本大学研究班の報告会で「新日窒水俣工場アセトアルデヒド酢酸設備内の水銀スラッジから有機水銀塩を検出した」と発表した[9]。同年2月20日、熊本大学研究班は入鹿山の研究結果を公式に発表した[10]

1964年1月、白木博次東京大学医学部教授が、入鹿山らの研究結果を論拠に、水俣病の原因がメチル水銀であることを確定する論文を発表、これが1968年9月の厚生省による水俣病とメチル水銀化合物との因果関係の公式認定[11]に繋がることとなった。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 『事典 日本の科学者 科学技術を築いた5000人』(日外アソシエーツ、2014年6月)p.101
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 泉孝英 編『日本近現代医学人名事典 1868-2011』(医学書院、2012年12月)「入鹿山且朗」
  3. ^ 『人事興信録 第25版 上』(人事興信所、1969年)い369頁
  4. ^ a b c d e f g h 南日本新聞社・編『郷土人系 下』(春苑堂書店、1970年)pp.292-293
  5. ^ a b c d 『九州人国記』(熊本日日新聞社、1966年)p.628
  6. ^ 『ブライアン山下物語: 日吉、小さな村の多彩な人物たち』 日吉人物伝刊行会 編集、南方新社
  7. ^ CiNii 博士論文 - 衣服の熱学的研究
  8. ^ a b c d 入鹿山 且朗とは - コトバンク
  9. ^ 熊本日日新聞1963年2月17日「熊大研究班 水俣病の原因で発表“製造工程中に有機化 入鹿山教授、有害物質を検出”」”. 新聞記事見出しによる水俣病関係年表1956-1971. 熊本大学附属図書館. 2021年9月16日閲覧。
  10. ^ 熊本日日新聞1963年2月22日「水俣病の究明大詰めに」”. 新聞記事見出しによる水俣病関係年表1956-1971. 熊本大学附属図書館. 2021年9月16日閲覧。
  11. ^ 熊本日日新聞1968年9月26日「水俣病の原因は廃液、厚生省の見解原文 企業の責任を明示/救済制度を早急に確立」”. 新聞記事見出しによる水俣病関係年表1956-1971. 熊本大学附属図書館. 2021年9月16日閲覧。