入江たのし
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(入江太乃士から転送)
いりえ たのし 入江 たのし | |
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生誕 |
1959年8月25日(65歳) 大阪府 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 慶應義塾大学商学部 |
職業 | プロデューサー |
入江 たのし(いりえ たのし、1959年(昭和34年)8月25日 - )は、日本のプロデューサー。本名は入江 太乃士(読みは同じ)。
経歴・人物
[編集]- 大阪府出身。関西学院高等部、慶應義塾大学商学部卒業。メディアコミュニケーション研究所修了。
- 学生時代から音楽関連の記事を中心に執筆。『ポパイ』編集部を経て『Olive』創刊に携わる。
- 1983年ニッポン放送入社。 オールナイトニッポンをはじめとする番組制作ディレクターとして勤務。
- 1989年 小劇場のフェスティバルを立ち上げる。
- 1990年企画開発部所属時に、相模湾アーバンリゾート・フェスティバル1990のイベント放送局「サーフ90エフエム」のプロデューサーを務める。
- 1992年同社退社。
- 以後テレビ、ラジオの番組企画や、webコンテンツのプロデュース、原稿執筆を行なう。
- 2002年放送批評懇談会理事に就任。
- 2010年総務省「ラジオと地域情報メディアの今後に関する研究会」構成員に就任。
エピソード
[編集]オールナイトニッポンで現場を共にしたデーモン小暮閣下は、『怒った時も顔や口調が笑っているように見えるので、怒っているのかどうか解るのに時間がかかったことがあった』と評していたことがあった[1]。その『デーモン小暮のオールナイトニッポン』で、生まれたばかりの娘の名前を『狸穴(まみあな)』という言葉から『“狸”一字だけで“まみ”ってダメかな』と話していたことを、番組中で笑い話にされたことがあった(閣下は「学校でいじめられるよ」「親がタノシで娘はタヌキ」と揶揄した)[2]。また、この関係で、閣下が『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに出演した時に、閣下の顔のメイクをし、「にせデーモン」の一人として出演したことがあった。
主な担当番組
[編集]ラジオ
[編集]ニッポン放送在籍時
[編集]- 中島みゆきのオールナイトニッポン
- サンプラザ中野のオールナイトニッポン
- デーモン小暮のオールナイトニッポン
- 小峯隆生のオールナイトニッポン
- ヤングパラダイス
- HITACHI FAN! FUN! TODAY
- TOKYOベストヒット
ニッポン放送退社後
[編集]- サントリー・サタデー・ウェイティング・バー(TOKYO FM)
- PRIME ANGLE(J-WAVE)※コメンテーターとして出演
- PEOPLE (ラジオ番組)(JFNC)※第5週に出演
- 〜JK RADIO〜TOKYO UNITED(J-WAVE)
- 金つぶ(bayfm)※プロデューサー(以下※)。ニッポン放送時代に同僚だった土屋夏彦(ニック土屋)も出演
- AWAKE(同)※
- シン・ラジオ -ヒューマニスタは、かく語りき-(同、水曜)※
- bayfm It!(同、木曜PIKACO EDITION)※
テレビ
[編集]- モグラネグラ(テレビ東京)
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- ウマい話に乗ってみろ - ブログ
- 入江たのし (@TanoshiIRIE) - X(旧Twitter)
- STUDIO VIVA
- ラジオと地域情報メディアの今後に関する研究会(第1回会合)配布資料 入江構成員資料