兒玉常雄
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(児玉常雄から転送)
兒玉 常雄 こだま つねお | |
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生誕 |
1884年3月29日 日本、東京府 |
死没 | 1949年10月3日(65歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1905 - 1932 |
最終階級 | 陸軍航空兵大佐 |
除隊後 | 満洲航空株式会社社長、中華航空株式会社総裁、大日本航空株式会社総裁 |
兒玉 常雄(児玉常雄、こだま つねお、1884年(明治17年)3月29日 - 1949年(昭和24年)10月3日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍航空兵大佐。
経歴
[編集]東京府出身。後に陸軍大将となる児玉源太郎の四男として生まれる。陸軍中央幼年学校を経て、1905年(明治38年)3月30日に陸軍士官学校(17期)を卒業し、同年4月21日に工兵少尉に任ぜられる[1]。1907年(明治40年)12月21日に工兵中尉に昇進[2]後、陸軍砲工学校(15期)高等科を卒業[3]、更に員外学生として在学し、1913年(大正2年)7月10日には東京帝国大学工科大学機械工学科を卒業した[4]。1914年(大正3年)9月9日に工兵大尉に昇進した[5]。
その後、陸軍兵器本廠付等を経て、1921年(大正10年)4月20日に工兵少佐に昇進[6]し、1923年(大正12年)4月1日、航空局航空官(高等官四等)を任ぜられる[7]。1925年(大正14年)3月18日工兵中佐に昇進[8]後、同年5月1日航空兵中佐に転科した[9]。さらに、1928年(昭和3年)8月10日に航空兵大佐に昇進[10]し、1932年(昭和7年)1月28日に逓信省事務官を仰せつけられ[11]、同年9月19日予備役に編入された[12]。
その後、満洲航空株式会社副社長となり、同社社長、中華航空株式会社総裁、大日本航空株式会社総裁を歴任した。
栄典
[編集]- 位階
- 1905年(明治38年)5月26日 - 正八位[13]
- 1908年(明治41年)3月20日 - 従七位[14]
- 1913年(大正2年)5月20日 - 正七位[15]
- 1918年(大正7年)7月10日 - 従六位[16]
- 1926年(大正15年)8月2日 - 従五位[17]
- 1931年(昭和6年)8月15日 - 正五位[18]
- 勲章等
- 1906年(明治39年)4月1日 - 勲六等瑞宝章・明治三十七八年従軍記章[19]
- 1914年(大正3年)5月16日 - 勲五等瑞宝章[20]
- 外国勲章佩用允許
- 1926年(大正15年)6月24日 - フランス共和国:レジオンドヌール勲章シュヴァリエ[21]
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ 『官報』第6540号、明治38年4月22日。
- ^ 『官報』第7347号、明治40年12月23日。
- ^ 『官報』第7937号、明治42年12月7日。
- ^ 『官報』第286号、大正2年7月12日。
- ^ 『官報』第634号、大正3年9月10日。
- ^ 『官報』第2614号、大正10年4月21日。
- ^ 『官報』第3200号、大正12年4月4日。
- ^ 『官報』第3770号、大正14年3月19日。
- ^ 『官報』第3806号、大正14年5月2日。
- ^ 『官報』第488号、昭和3年8月11日。
- ^ 『官報』第1522号、昭和7年1月29日。
- ^ 『官報』第1719号、昭和7年9月20日。
- ^ 『官報』第6572号、明治38年5月30日。
- ^ 『官報』第7418号、明治41年3月23日。
- ^ 『官報』第241号、大正2年5月21日。
- ^ 『官報』第1782号、大正7年7月11日。
- ^ 『官報』第4196号、大正15年8月18日。
- ^ 『官報』第1415号、昭和6年9月15日。
- ^ 『官報』第7035号、明治39年12月10日。
- ^ 『官報』第539号、大正3年5月18日。
- ^ 『官報』第4153号、大正15年6月28日。
関連項目
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