青龍寺 (大津市坂本)
青龍寺 | |
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所在地 | 京都府京都市左京区八瀬秋元町946(住所表示は滋賀県大津市坂本本町4220) |
位置 | 北緯35度04分59.2秒 東経135度50分04.4秒 / 北緯35.083111度 東経135.834556度座標: 北緯35度04分59.2秒 東経135度50分04.4秒 / 北緯35.083111度 東経135.834556度 |
山号 | 比叡山 |
宗派 | 天台宗 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
開基 | 良源(慈恵大師) |
別称 | 黒谷青龍寺 |
札所等 |
法然上人二十五霊場特別霊場 真盛上人二十五霊場第2番 |
法人番号 | 9160005000830 |
青龍寺(せいりゅうじ)は、滋賀県大津市の郊外、比叡山西塔北の谷にある寺院(所在地については後述)。黒谷青龍寺ともいう。法然上人二十五霊場の特別霊場。大黒天出現の地という伝承から、大黒天を安置し、大黒谷と呼ばれていたのが黒谷となったという。京都の金戒光明寺の地を黒谷というようになったことから、元黒谷といわれている。天台宗であるが、浄土宗総本山の知恩院が管理を行っている[1]。
歴史
[編集]比叡山延暦寺は東塔、西塔、横川(よかわ)の3地区に分かれ、それぞれがさらに「○○谷」と称される小地区に分かれる。これらを総称して「三塔十六谷」というが、これらとは別に、「三塔十六谷」に含まれない「別所」が2か所(黒谷、安楽谷)ある。青龍寺はこのうちの黒谷別所に位置する。黒谷は西塔の釈迦堂から北に約1.5㎞離れた山中である[2]。青龍寺の位置は京都府・滋賀県境にまたがる比叡山の京都市側にあり、行政区分のうえでは京都市左京区八瀬秋元町に位置するが、住所の表示は延暦寺と同じく「滋賀県大津市坂本本町4220」となっている。
開基は天台座主良源(慈恵大師、通称元三大師)と伝える。久安6年(1150年)法然が18歳のとき、青龍寺の叡空の門に入った。叡空は彼を「法然房源空」と名づけた。法然は承安5年(1175年)43歳のとき浄土宗開宗に至るまで、そこを経典の探求の地とした。織田信長の比叡山焼き討ち元亀2年(1571年)により、法然房の建物は燒失した。当時法然の墓もあったという。現在ここには一切経を納める報恩蔵がある。この霊蹟は比叡山延暦寺の厚意で、浄土宗総本山知恩院が、昭和42年(1967年)青少年修練道場として再興した。若い世代に念仏信仰を伝えており、浄土宗系の高校などが使用している。
文化財
[編集]- 重要文化財
- 木造維摩居士坐像
- 木造慈恵大師坐像
以上の2体は延暦寺国宝殿に安置されている[3]。
御詠歌
[編集]「たつ杣(そま)や 南無阿弥陀仏の 声引くは 西にいざなう 秋の夜の月」
- 真盛上人二十五霊場第2番
「まことより ひらきたまいし のりのはな さかんなれかし あらしふくとも」
所在地・アクセス
[編集]- (住所)滋賀県大津市坂本本町4220
- (実際の所在地)京都府京都市左京区八瀬秋元町946
- JR京都駅から比叡山バスセンター(根本中堂付近)までバスにて65分。そこから徒歩60分。または比叡山内シャトルバスに乗り換えて「峰道」バス停下車。そこから林道を徒歩約30分。
- かつては西塔から瑠璃堂経由で向かっていたが、道路の崩壊により現在の峰道からのルートに変更されている。
- 関係者の自動車だとすぐ近くまで乗り入れることができるが、一般参拝者は通行できないので、「峰道」バス停のある「比叡山峰道レストラン」の駐車場に駐車し、バスの場合と同じ林道を徒歩約30分。なお、尾根筋にある駐車場から谷底にある寺に、急坂を下って向かうことになるので、帰路の方が時間がかかる。
- 法然上人二十五霊場巡拝などで朱印の押印を求める場合は、予め電話で確認しておかないと、1人しか常駐していない僧侶が買い出しなどで不在の場合もある。長い道を歩いた末に到達できる寺院であるので、要注意。なお、僧侶が駐在している時は、無料で堂内に入ることができる。梵鐘も自由に撞くことができる。
- 京都バスの「登山口」バス停からの黒谷道という登山道もある。健脚者なら1時間程度で登ることができる。「峰道」バス停から歩き、帰路は「登山口」バス停に向かうと下りばかりにできる。
脚注
[編集]- ^ 比叡山 青龍寺報恩蔵 落慶 | 浄土宗【公式ウェブサイト】
- ^ 延暦寺執行局編『比叡山 その歴史と文化を訪ねて』、1993、pp.173, 176
- ^ 延暦寺執行局編『比叡山 その歴史と文化を訪ねて』、1993、p.112
参考文献
[編集]- 「比叡山三塔古絵図」
- 「山門名所旧跡記」
- 「山門堂舎由緒記」