セナテュス=コンシュルト
表示
(元老院令から転送)
セナテュス=コンシュルト(フランス語: sénatus-consulte、ラテン語のセナトゥス・コンスルトゥムの仏訳で、元老院決議・元老院令の意)は、統領政府・第一帝政・第二帝政時代のフランスの法形式の一つ。
統領政府・第一帝政
[編集]護憲元老院(Sénat conservateur)の決議には法的拘束力があり、憲法を修正する組織的元老院決議(sénatus-consulte organique)と公権力行使を統制する普通の元老院決議(sénatus-consulte)があった[1]。
第二帝政
[編集]1851年12月2日のクーデターの後、フランスにはナポレオン1世時代の統治機構が再建された。皇帝ナポレオン3世(在位1852年-1870年)は執行権を掌握し[2]、立法権を立法院(Corps législatif)・元老院(Sénat)両院と共有するものとされたが[3]、法案の起草は公選議員からなる立法院ではなく官吏からなる国務院(Conseil d'État)が行うものとされ[4]、元老院は終身の勅選議員からなるものとされた[5]。また、元老院は法的拘束力をもつ元老院決議(sénatus-consulte)により統治機構を再編し、1852年憲法を修正することができるものとされた[6]。元老院決議は当初権威帝政の確立に用いられたが、1860年代以降は議会権限拡張による自由帝政への構造転換に用立てられるようになった。
第二帝政下の元老院決議の一覧
[編集]帝政復古時の元老院決議
[編集]- 1852年11月7日[7]:ルイ=ナポレオン・ボナパルト(ナポレオン3世)に帝位を回復するため、1852年1月14日の共和国憲法が修正される。同元老院決議はプレビシットで承認される。
- 1852年12月25日[9]:皇帝に追加的権限(恩赦権および元老院・国務院主宰権)が付与されると同時に、君主制たることを明確にするため、憲法の数か所が修正される。元老院・立法院両院の議員歳費が定められる。大臣、議員、武官、司法官および官吏の忠誠宣誓の義務が明記される。その他の細目(フランス皇族の地位、通商条約、公益事業等)が規定される。
権威帝政確立期の元老院決議
[編集]- 1856年4月23日[10]:帝室財産の所管が明確にされる。
- 1856年7月17日[11]:皇后(ウジェニー・ド・モンティジョ)のため、摂政就任の条件が定められる。
- 1857年5月27日[12]:選挙人数17,500人以上の県に新たに立法院の議席を割り当てるため、憲法の規定が修正される。
自由帝政転換期の元老院決議
[編集]- 1861年2月2日[14]:立法院の議事録の転載・公表を認めるため、憲法の規定が修正される。
- 1861年12月31日[15]:以後、立法院は予算を項目別に票決することができるものとされ、これにより各大臣の予算運営を追及することができるようになる。
- 1863年4月22日:私的土地所有権設定。アルジェリアにおいて、現地の種々の土地保有形態に従って領有地が分割下付される。
- 1865年7月14日[16]:アルジェリアのムスリム・ユダヤ系原住民の地位が規定され、(現地に3年以上在留する外国人も含め)帰化人と同等の地位を有するものとされる。
- 1866年7月18日[17]:元老院外においては憲法に関する審議を行わないものとされる。立法院の会期(年間3か月と定められていたのが改められ、皇帝が勅令で定めるものとされる)および法案修正の策定(以後、国務院で採択されなかった修正案は、立法院の審議を経て委員会の再検討を受けることができるものとされる)に関する憲法の諸規定が修正される。
- 1870年4月20日:以後、大臣は議会に対し責任を負うものとされる。同元老院決議は1870年5月8日のプレビシットで承認される。
- 1870年5月21日[20]:自由主義・議会主義への構造転換を図る新憲法が公布される。
脚注
[編集]- ^ 共和暦10年憲法54条、55条
- ^ 1852年憲法6条
- ^ 1852年憲法4条
- ^ 1852年憲法50条
- ^ 1852年憲法20条、21条
- ^ 1852年憲法27条
- ^ Sénatus-consulte du 7 novembre 1852, portant modification à la Constitution
- ^ Sénatus-consulte du 12 décembre 1852, sur la liste civile et la dotation de la couronne
- ^ Sénatus-consulte du 25 décembre 1852, portant interprétation et modification de la Constitution du 14 janvier 1852
- ^ Sénatus-consulte du 23 avril 1856, interprétatif de l'article 22 du sénatus-consulte du 12 décembre 1852, sur la liste civile et la dotation de la couronne
- ^ Sénatus-consulte du 17 juillet 1856, sur la régence de l'Empire
- ^ Sénatus-consulte du 27 mai 1857, qui modifie l'article 35 de la Constitution
- ^ Sénatus-consulte du 17 février 1858, qui exige le serment des candidats à la députation
- ^ Sénatus-consulte du 2 février 1861, qui modifie l'article 42 de la Constitution
- ^ Sénatus-consulte du 31 décembre 1861, qui modifie les articles 4 et 12 du sénatus-consulte du 25 décembre 1852
- ^ Sénatus-consulte du 14 juillet 1865, sur l'état des personnes et la naturalisation en Algérie
- ^ Sénatus-consulte du 18 juillet 1866, qui modifie la Constitution et notamment les articles 40 et 41
- ^ Sénatus-consulte du 14 mars 1867, qui modifie l'article 26 de la Constitution
- ^ Sénatus-consulte du 8 septembre 1869, qui modifie divers articles de la Constitution, les articles 3 et 5 du sénatus-consulte du 22 décembre 1852 et l'article premier du sénatus-consulte du 31 décembre 1861
- ^ Sénatus-consulte du 21 mai 1870, fixant la Constitution de l'Empire
参考文献
[編集]- 山本浩三「第二帝政の憲法(二)完・訳」『同志社法學』第11巻第3号、同志社法學會、1959年11月、77-88頁、CRID 1390290699888866048、doi:10.14988/pa.2017.0000009314、ISSN 0387-7612、NAID 110000400931。