伏見猛彌
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伏見 猛彌(伏見 猛弥、ふしみ たけや、1904年〈明治37年〉1月2日 - 1972年〈昭和47年〉3月15日)は、日本の教育学者。戦後日本の英才教育の先駆者として知られる。福島県出身。国民精神文化研究所では哲学者の小島威彦、国家学者の大串兎代夫と共に三羽烏と呼ばれた[1][2]。
経歴
[編集]1928年、東京帝国大学文学部教育学科卒業。東京帝国大学大学院修了。[3]
東京帝国大学助手兼日本大学講師。1936年、文部省国民精神文化研究所所員。1943年、教学錬成所錬成官。戦後公職追放。1951年、学校図書株式会社顧問。1952年、追放解除、玉川大学教授。1963年教授。玉川大学教育学科長。1965年、英才教育研究所設立、同所長。1971年、聖徳学園小学校教育顧問。1972年、玉川大学退職。[3]
脚注
[編集]- ^ 前田一男「国民精神文化研究所の研究: 戦時下教学刷新における「精研」の役割・機能について」『日本の教育史学』25,1982.教育史学会
- ^ 今井隆太「国民精神文化研究所における危機の学問的要請と応答の試み」『ソシオサイエンス』第7巻、早稲田大学大学院社会科学研究科、1978年2月、165-183頁。
- ^ a b 20世紀日本人名事典. “伏見 猛弥(フシミ タケヤ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年7月28日閲覧。