伊藤素道
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(伊藤素道とリリオ・リズム・エアーズから転送)
伊藤 素道(いとう もとみち、1928年4月13日[1] - 2003年8月7日)は、第二次世界大戦後の時期に、1948年結成のリリオ・リズム・ボーイズ、1952年以降には、リリオ・リズム・エアーズと称したグループを率い、おもにハワイアンやジャズ、ポップスなどの洋楽をレパートリーとした日本の歌手[2][3]。
後には、渡辺プロダクションに参加し、草創期のテレビの音楽バラエティ番組で「コミカルなコーラス・グループ」としても活動するようになり[2][4]、『光子の窓』などに出演した[5]。この時期には、伊藤素道とリリオ・リズム・エアーズ名義として、テレビ番組『ローハイド』の主題歌「ローハイド」(1959年)や、ポップスの「リトル・ダーリン」(1960年)などを英語で歌い、ヒットさせた[2]。
1960年には、ミュージカル『見上げてごらん夜の星を』の初演に出演し、主題歌「見上げてごらん夜の星を」(後に坂本九の歌唱によって有名になる)を歌った[6]。
1961年当時には、日本テレビで『リリオ・リズムエアーズ・ショー』という看板番組をもっていたが、この番組は、放送作家として台本を書いていた前田武彦が、自ら毎回端役で出演し、タレントとして注目される契機となった[7]。
出演
[編集]CM
[編集]脚注
[編集]- ^ 「著作権台帳 文化人名録」日本著作権協議会 1995年 72頁
- ^ a b c d 新撰 芸能人物事典 明治~平成『伊藤 素道』 - コトバンク
- ^ 1950年から1953年まで、「リリオ・ハワイアンズ」と称するハワイアン・バンドを率いていたとする記述もある。:“昔のハワイアン”. ハワイアンバンド ロイヤルハワイアンズ. 2016年10月12日閲覧。
- ^ 滝沢芙司雄. “平成21年1月23日神田雑学大学定例講座NO441「起・承・転・結」の話”. 神田雑学大学. 2016年10月12日閲覧。:滝沢芙司雄は渡辺プロダクションにマネージャーとして入社した直後に伊藤素道とリリオ・リズム・エアーズを担当し、その後、クレージー・キャッツのマネージャーとなった人物。
- ^ “低俗番組、一億総白痴化。しかしそれはテレビの黄金時代でもあった。”. 戦後昭和史. 2016年10月12日閲覧。
- ^ 隈元信一 (2011年6月7日). “(ジャーナリズム列伝:45)永六輔:16 もう一つの名コンビ”. 朝日新聞・夕刊: p. 6. "ミュージカルの初演で主題歌を歌ったのは伊藤素道だった。63年から持ち歌にした坂本は、再演や同名映画にも主演した。" - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ “[ダイヤル]やっぱり3枚目”. 読売新聞・朝刊: p. 6. (1961年1月14日). "NTVの『リリオ・リズムエアーズ・ショー』の台本を書いている前田武彦氏(写真)毎回チョイ役で出演し、このところすっかりタレントづいているが、…" - ヨミダス歴史館にて閲覧
- ^ 『ACC CM年鑑'61/'62/'63』(全日本CM協議会編集、三彩社、1964年 144頁)