伊牟田經正
伊牟田 經正(いむた つねまさ[1][2]、1934年11月5日[3]-2018年5月18日[4][5])は、日本の洋画家。光風会名誉会員、日展会員[6]。日展評議員、光風会理事を歴任[3]。
経歴・人物
[編集]鹿児島県喜入村[1][7]中名(現・鹿児島市喜入中名町)生まれ[5]。小学生の頃から図画が得意だった[3]。鹿児島県立甲南高等学校では美術部に所属し[8]油絵を描き始め2年生の頃に画家を志す[3]。高校時代、南日本美術展に出品[5]。また、彼が3年生の時に、同校文学部が機関誌『深海魚族』を創刊した際、頼まれて表紙絵を提供している[8]。甲南高校卒業後に上京し、新橋の光風会美術研究所で学ぶ[7]。デザイン会社、映画看板屋、ペンキ屋などを遍歴した後、レーシングカーのサインペインターをしながら絵画制作を続ける[3]。
1962年、第48回光風会展で初入選[3]。以後、光風会展と日展を中心に出品を重ねる(受賞歴は後述)[3][7]。1970年に光風会会員となり、その頃から絵に専念[3]。1971年~1984年、具象絵画の登竜門といわれる安井賞展に連続出品[3][7]。その他、光風会と日展への出品と並行して、1972年~1974年新鋭選抜展[3]、1974年日本国際美術展[1]、1977年~1981年・1986年国際形象展[3]、1976年・1986年文化庁現代美術選抜展[3]、1979年~1982年明日への具象展[3]、1985年具象絵画ビエンナーレ展[1]、1985年インド「日本現代絵画展」[3]、1986年パリ「日本の油絵30人展」[3]などに出品。また、1981年に郷里鹿児島のデパート山形屋で個展を開催[7]。1991年に日展会員となる[3]。2004年に光風会理事、2007年に日展評議員にそれぞれ就任(日展評議員は2014年まで)[3]。2018年4月に銀座で個展を開く[5]。同年5月、下咽頭がんのため千葉市にて逝去[5]。
著書に技法書の『増補新版 伊牟田經正の油彩画』(河出書房新社、1994年11月)がある。国文学者の伊牟田經久[9]は実兄[1][5]。
受賞歴
[編集]- 1968年 - 第54回光風会展 光風会奨励賞[1](「玉子」)[3]
- 1973年 - 第8回昭和会展 林武賞[2][3]
- 同年 - 第59回光風会展 桜花賞[3]
- 1978年 - 第10回日展 特選[1][2](「刻まれた時」)[3]
- 1979年 - 第65回光風会展 特別記念賞(「彷徨」)[3][7]
- 1984年 - 第16回日展 特選[1][2](「1984年の夏」)[3]
- 1990年 - 第76回光風会展 つばき賞[2][3]
作風
[編集]画材の深い認識とテクニックにもとづいた緻密な具象表現を[3]幻想的な画面構成を結び付けて[7]、身近な事物の組み合わせで緊張した絵画空間を創造する[3]。明快な形態描写と明るい色彩感覚に特徴がある[7]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 『鹿児島県風土記』(芳即正 塚田公彦 監修、旺文社、1995年)481-507頁「鹿児島県人国記 平成七年八月現在」
- ^ a b c d e 『増補新版 伊牟田經正の油彩画』(河出書房新社、1994年11月)著者紹介
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 藤森耕英『日本美術家事典 2017年度版』(日本美術家事典社、2017年3月)
- ^ 日展-物故会員(洋画) 2019年9月23日閲覧
- ^ a b c d e f 「訃報 伊牟田經正」『南日本新聞』2018年5月22日、朝刊、25面。
- ^ 東風会-伊牟田經正展ご案内(2018年3月13日) 2019年9月23日閲覧
- ^ a b c d e f g h 鹿児島市立美術館・編『20世紀回顧・鹿児島と洋画展』(20世紀回顧・鹿児島と洋画展実行委員会、2000年)143頁
- ^ a b 鹿児島県立甲南高等学校『甲南 第35号 創立八十周年記念特集号』(1987年)218頁
- ^ 鹿児島大学名誉教授(元教育学部長)、志學館大学名誉教授(元学長)
外部リンク
[編集]- かごしまデジタルミュージアム(鹿児島市) - 作品がweb上でも公開されている(「伊牟田経正」表記で登録されている)。