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国鉄ケ190形蒸気機関車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
沖縄県営鉄道那覇駅構内。右手後方の車庫に2両の本形式が見える。

ケ190形は、かつて日本国有鉄道の前身である鉄道院に在籍した、特殊狭軌線タンク式蒸気機関車である。

概要

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米軍により撮影された瓦礫に埋まった沖縄県営鉄道12(1945年6月)

元は、仙北軽便鉄道(現在の東日本旅客鉄道石巻線の一部)が1912年(明治45年)の開業時に用意した機関車で、1911年(明治44年)に3両、1913年(大正2年)に1両の計4両がイギリスエイボンサイド・エンジン英語版で製造された。製造番号は、1614 - 1616, 1665と推定されている。1919年(大正8年)4月1日に仙北軽便鉄道が国有化されたのにともない、国有鉄道籍を得たものである。仙北軽便鉄道時代は、S.K.T.形[1]1 - 4)と称したが、国有化後はケ190形ケ190 - ケ193)に改番された。

車軸配置0-6-0(C)で外側式の台枠を持つ、2気筒単式の飽和式、公称13tのサイドタンク機関車である。ボイラー上には蒸気ドームが設置されておらず、安全弁もなんとも名状し難い独特の形状のものが取り付けられていた。

買収された仙北軽便線は、翌1920年(大正9年)には改軌工事を完了し、本形式も不要となった。それに際して、路線延長(嘉手納線)のため車両を探していた沖縄県営鉄道に、同時に不要となった元仙北軽便鉄道の客車(13両)、貨車(30両)[2]とともに譲渡された。車籍削除1921年(大正10年)3月であったが、実際の引渡しは同年1月で、「譲渡のための車籍削除」の典型例であった。

本形式は譲渡時に鉄道省小倉工場でボイラーの更新を行ない、通常の蒸気ドームのついた形態のものに交換された。沖縄県営鉄道移籍後は、11 - 14に改番されている。最後は、太平洋戦争末期の沖縄戦により、鉄道もろとも消滅した。半分瓦礫に埋まった12号の写真が残っている。

主要諸元

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  • 全長:5,658mm
  • 全高:2,816mm
  • 最大幅:1,968mm
  • 軌間:762mm
  • 車軸配置:0-6-0(C)
  • 動輪直径:610mm
  • 弁装置スチーブンソン式基本型
  • シリンダー(直径×行程):215mm×304mm
  • ボイラー圧力:9.8kg/cm2
  • 火格子面積:0.51m2
  • 全伝熱面積:17.4m2
    • 煙管蒸発伝熱面積:15.0m2
    • 火室蒸発伝熱面積:2.4m2
  • 小煙管(直径×長サ×数):45mm×1,882mm×58本
  • 機関車運転整備重量:13.2t
  • 機関車空車重量:10.8t
  • 機関車動輪上重量(運転整備時):13.2t
  • 機関車動輪軸重(各軸均等):4.57t
  • 水タンク容量:1.36m3
  • 燃料積載量:0.66t
  • 機関車性能
    • シリンダ引張力:2,220kg
  • ブレーキ方式:手ブレーキ

同形機

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1910年および1911年に同形機が4両(製造番号 1577, 1588, 1608, 1609)製作され、台湾塩水港製糖に納入されている。

脚注

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  1. ^ Semboku Keiben Tetsudoの頭文字をとったものである。
  2. ^ 仙北軽便鉄道から引き継いだ全車である。

参考文献

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  • 臼井茂信「日本蒸気機関車形式図集成 2」1969年、誠文堂新光社
  • 臼井重信「機関車の系譜図 1」1976年、交友社
  • 臼井茂信「国鉄狭軌軽便線 5」鉄道ファン1983年5月号(No.265)
  • 金田茂裕「形式別・国鉄の蒸気機関車 国鉄軽便線の機関車」1987年、エリエイ出版部刊