真宗大谷派井波別院瑞泉寺
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真宗大谷派 井波別院瑞泉寺 | |
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本堂 | |
所在地 | 富山県南砺市井波3050 |
位置 | 北緯36度33分30.55秒 東経136度58分19.92秒 / 北緯36.5584861度 東経136.9722000度座標: 北緯36度33分30.55秒 東経136度58分19.92秒 / 北緯36.5584861度 東経136.9722000度 |
山号 | 杉谷山 |
宗旨 | 浄土真宗 |
宗派 | 真宗大谷派 |
寺格 | 別院 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 明徳元年(1390年) |
開基 | 綽如 |
文化財 |
【重要文化財】 後花園天皇宸翰消息 綽如上人勧進状 【重要美術品】 聖徳太子絵伝 【富山県指定文化財】 山門 木造阿弥陀如来立像 【南砺市指定史跡】 瑞泉寺境内 |
公式サイト | 真宗大谷派 井波別院 瑞泉寺 |
法人番号 | 7230005005188 |
真宗大谷派井波別院瑞泉寺(しんしゅうおおたにはいなみべついんずいせんじ)は、富山県南砺市井波にある真宗大谷派の寺院である。同派の別院。真宗本廟(東本願寺)を本山と仰ぐ。井波別院、瑞泉寺と略称で呼ばれる。山号は「杉谷山(さんこくさん)」。
戦国時代には、越中一向一揆の拠点とされ、伽藍は堅牢な石垣に囲まれている。瑞泉寺の建物の彫刻は、全て木彫刻産業が盛んな、南砺市井波の井波彫刻職人の手によって飾られている。
概要
[編集]明徳元年(1390年)、本願寺第五代綽如により建立される[1][2]。
天正9年(1581年)、顕秀の下、織田信長の北陸方面軍佐々成政の軍勢と戦うが焼き討ちに遭い、堂宇を焼失する[1]。
慶長7年(1602年)、本願寺の分立により「准如を十二世法主とする本願寺教団」[注 1]に属する。
慶安2年(1649年)、「教如を十二代法主とする本願寺教団」[注 2]に転派する[1]。
明治12年(1879年)、火災で大門(山門)などを残して主要伽藍を焼失[3]。その後、明治18年(1885年)に本堂[4]、大正7年(1918年)に太子堂が再建された[5]。
文化財
[編集]- 重要文化財(国指定)
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- 紙本墨書後花園天皇宸翰消息
- 紙本墨書綽如上人勧進状
- 重要美術品(国認定)
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- 絹本著色聖徳太子絵伝 8幅
- 有形文化財(富山県指定)
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- 山門
- 木造阿弥陀如来立像
所在地
[編集]富山県南砺市井波3050
開門・閉門時間
[編集]拝観料
[編集]- 一般300円、中学生200円、小学生100円[7]
アクセス
[編集]- JR西日本城端線福野駅から車で20分
- 加越能バス瑞泉寺前バス停下車すぐ(高岡駅前または石動駅から、庄川町行き、または小牧堰堤行きに乗車)
- 加越能バス交通広場前バス停下車5分(金沢駅または福光駅から、南砺金沢線井波行きに乗車)
近隣情報
[編集]その他
[編集]- 映画『ファンシイダンス』のロケに使われた。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 井波別院瑞泉寺 2009, p. 22.
- ^ “となみ野・五箇山路ガイドブック”. 砺波市、南砺市. 2022年8月4日閲覧。
- ^ 千秋謙治 2014, p. 98.
- ^ 井波別院瑞泉寺 2009, p. 23.
- ^ 千秋謙治 2014, p. 116.
- ^ 「瑞泉寺(南砺市文化芸術アーカイブス)」南砺市公式HP
- ^ a b c 井波別院瑞泉寺. “拝観のご案内”. 2014年8月25日閲覧。
参考文献
[編集]- 千秋謙治 編『年表でみる井波瑞泉寺』桂書房、2014年。ISBN 978-4-905345-67-1。
- 井波別院瑞泉寺 編『井波別院瑞泉寺誌』井波別院瑞泉寺、2009年。