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井上宥藏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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井上宥藏[1]
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1921年11月24日
死没 1998年7月5日
騎手情報
所属団体 日本競馬会
国営競馬
川崎競馬場
所属厩舎 柴田寛治中山(1934年 - ?)
→調騎兼任・川崎(1954年 - 1958年)
調教師情報
初免許年 1954年
通算勝利 3816戦530勝[注 1][2]
経歴
所属 川崎競馬場(1954年 - 1998年)
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井上 宥藏(いのうえ ゆうぞう、1921年11月24日 - 1998年7月5日[3])は元公認国営競馬川崎競馬場騎手調教師である。

経歴

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千葉県出身[3]。1934年、中山競馬倶楽部柴田寛治のもとへ入門する[注 2][1][4]公認競馬の騎手を経て、1939年には大連競馬場で騎乗するなど戦中は中国大陸各地の競馬場で活躍したという[1][5]。戦後は公認・国営競馬で騎手として復帰したが、1954年より川崎競馬場へ調教師兼騎手として移籍。ノブタカ、トモスベビーなどに騎乗して活躍したのち、1958年より調教師専業となった。

調教師としてはポートスーダンフアインポートなど数多くの活躍馬を管理し、また森下博竹島春三佐々木国廣長谷川茂ら多くの弟子を輩出している[5]。1990年から1996年まで全国公営競馬調教師会連合会会長を務め、厩舎の労働管理体制の改善に尽力[5]。その功績から1996年にはNARグランプリ特別賞黄綬褒章を受けた[5][6]。その後もダイアモンドコアで重賞を2勝するなど精力的に活動していたが、1998年死去[1]

代表騎乗馬

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代表管理馬

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脚注

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注釈

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  1. ^ 正確な記録の残っている1973年4月以降の数字に限る。
  2. ^ 柴田安治は兄、大崎昭一の師柴田寛は長男。
  3. ^ 自身で管理。
  4. ^ 自身で管理。
  5. ^ のちに阪本正太郎厩舎へ移籍。
  6. ^ のちに青野四郎厩舎へ移籍。

出典

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  1. ^ a b c d 「黄綬褒章の受章」地方競馬全国協会『地方競馬史第5巻』2012年、112頁。
  2. ^ nankankeiba.com, 「井上宥藏」(2014年10月28日閲覧)。
  3. ^ a b 『現代物故者事典 1997~1999』(日外アソシエーツ、2000年)p.72
  4. ^ 山本啓二『日本の『騎手-調教師』大系図II』競馬通信社、1998年、16頁。
  5. ^ a b c d 「井上有藏調教師(川崎)が黄綬褒章を受章」地方競馬全国協会『Furlong』1996年7月号、59頁。
  6. ^ 「NAR GRANPRIX'95」地方競馬全国協会『Furlong』1996年3月号、10頁。