台東 (台東区)
台東 | |
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新御徒町駅 | |
北緯35度42分17.72秒 東経139度46分42.16秒 / 北緯35.7049222度 東経139.7783778度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 台東区 |
地域 | 下谷地域 |
人口 | |
• 合計 | 8,844人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
110-0016[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 足立 |
台東(たいとう)は、東京都台東区の町名。現行行政地名は台東一丁目から四丁目。郵便番号は110-0016[2]。
地理
[編集]台東区の南部に位置する。旧下谷区内である下谷地域内南東に当たる。東部は清洲橋通りに接し、これを境に小島・鳥越・浅草橋にそれぞれ接している。南部は千代田区神田和泉町に接する。西部は昭和通りに接しこれを境に千代田区神田松永町・台東区秋葉原・上野にそれぞれ接する。町域北部は、春日通りに接しこれを境に東上野に接する。町域内は商業地と住宅地とが混在している。首都圏新都市鉄道本社がある。
歴史
[編集]江戸時代、この地は古くは下谷村に属したが、正保年間には御徒衆の住居地があり、以後もその組屋敷が多く置かれた。これが地名「御徒町」の由来となっている。それ以外の地域も殆どが大名屋敷や旗本をはじめとする武家地であった。1872年(明治5年)、それら武家地に御徒町一~三丁目・二長町・竹町が起立し、以後市街地として発展する。1878年(明治11年)11月2日には郡区町村編制法により東京15区の一つ下谷区に属し、下谷御徒町一~二丁目・下谷二長町・下谷竹町となった。中でも下谷二長町には1892年(明治25年)に猿若町から市村座が現在の凸版印刷のビルのある場所に移転し、1932年(昭和7年)に焼失するまで歌舞伎の興行を行ったが、その間六代目尾上菊五郎と初代中村吉右衛門が出演して人気を競い、俗に「二長町時代」と呼ばれる盛況を見せた。1964年(昭和39年)、住居表示の実施によりこれら御徒町のうち一・二丁目および二長町・竹町は台東一~四丁目に再編成され、行政地名としての御徒町は消滅した。
世帯数と人口
[編集]2020年(令和2年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
台東一丁目 | 1,397世帯 | 2,189人 |
台東二丁目 | 1,443世帯 | 2,271人 |
台東三丁目 | 1,741世帯 | 2,767人 |
台東四丁目 | 1,022世帯 | 1,617人 |
計 | 5,603世帯 | 8,844人 |
小・中学校の学区
[編集]区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[4]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
台東一丁目 | 全域 | 台東区立平成小学校 | 台東区立御徒町台東中学校 |
台東二丁目 | 全域 | ||
台東三丁目 | 全域 | ||
台東四丁目 | 全域 |
交通
[編集]鉄道
[編集]- 東京メトロ日比谷線 仲御徒町駅 - 出入口が設けられている。(所在地:上野)
- 都営地下鉄大江戸線 新御徒町駅 - 出入口が設けられている。(所在地:元浅草)
- 首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス 新御徒町駅 - 出入口が設けられている。(所在地:小島)
バス
[編集]道路
[編集]- 首都高速道路・出入口
施設
[編集]- 台東区立御徒町台東中学校
- 台東区立平成小学校
- 台東区立竹町幼稚園
- 台東区立御徒町公園
- 台東区立竹町公園
- 朝日信用金庫 本店
- 首都圏新都市鉄道 本社
- 多慶屋 本社
- TOPPANホールディングス 本店
- 日本自動化開発 本社
- ライフコーポレーション 東京本社
- 大東銀行 東京支店
- 筑波銀行 東京支店
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典13 東京都」- 角川日本地名大辞典編纂委員会編(1978年、角川書店)
- 「日本歴史地名大系13 東京都の地名」- (2002年、平凡社)