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西友リテールサポート

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二光から転送)
西友 > 西友リテールサポート
株式会社 西友リテールサポート
SEIYU RETAIL SUPPORT Inc.
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
140-0013
東京都品川区南大井6丁目27番25号
西友大森店内)
設立 1967年昭和42年)7月22日
業種 小売業
法人番号 8011501014538 ウィキデータを編集
事業内容 人材派遣
代表者 代表取締役社長:菅井隆夫
資本金 4億7,760万円
決算期 12月
主要株主 合同会社西友
外部リンク http://www.seiyu-rs.co.jp/
特記事項:一般労働者派遣許可番号 般12-08-0033
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株式会社西友リテールサポート(せいゆうリテールサポート、英文社名:SEIYU RETAIL SUPPORT Inc. )は、東京都品川区本社を置いていた労働者派遣事業者西友完全子会社であった。2017年、西友に吸収合併され消滅した。

前身は、雑誌広告通信販売や、テレビショッピングの嚆矢『二光お茶の間ショッピング』で知られた二光株式会社(にこう)。本項では二光時代についても記述する。

歴史

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二光通信販売

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1963年昭和38年)、宝利貢がビルの一室で創業し、青少年向け雑誌広告を介した通信販売で業績を急拡大した。1967年(昭和42年)、二光通信販売株式会社に改組。初期の主力商品は無線機光波無線日新電子工業江角電波研究所ミズホ通信などの製品をニコルス技研名義で販売)やオーディオ機器、天体望遠鏡(主に東和光器製作所製)、楽器などで、商品先渡しの分割払いを可能とした事から、学生ら若年層に浸透した。

とりわけギターでは、直営のビバ楽器を通じ店頭発売もされた「Tomson」「Thomas」の2ブランド構成を取っていた。製品構成としては1960年代のエレキブームの頃からあったエレキギターを思わせる精度の低いコピー商品を「Thomas」として売り、1970年代からの流行に適ったラインナップを「Tomson」が担った[注 1]1980年代になると「Thomas」が廃止され「Tomson」のラインナップがそのまま「Holly」に置き換わり販売された。その他、アコースティックギターブランドとしては「hillbilly」「Grand Canyon」「Pro Martin」という名称も用いていた。1980年代以降になると、1970年代からのアコースティックギターの供給元であった木曾鈴木バイオリン寺田楽器製作所東海楽器製造フェニックス楽器すがの木工ヤマキ楽器など国内メーカーのOEM参入を受けて商品の品質は劇的に向上する。1980年代中期以降は「Tomson」は「Tomson2」として、さらに「Holly」が廃止されて「Buroze」に置き換わるが、なまじコピー精度が上がった事によって独特のビザール感が薄れていった[1]。またACE TONE英語版エース電子工業=ローランドの前身)や、京王技研のOEM製品の電子オルガンも若者の間で人気を博した。

楽器だけでなく音楽ソフトも販売しており、独自テーマで編集したオムニバス盤のカセットテープレコードも販売していた。S盤アワーの楽曲を『S盤アワーベスト100』や『S盤アワーベスト200』などの商品名で販売し、1曲あたり98円と通常のレコードなどより安価であった。

1970年代末期までは江戸川区南小岩に本社があった。一時期は[いつ?]本社そばの小岩駅前で精力剤専門の二光薬局を営業していたが、業績の急拡大により法令遵守など社内統制・教育が追い付かず、薬事法違反などで摘発を受けた。[要出典]

1976年(昭和51年)に、青のNとiを合わせたものを、赤のCで囲ったマーク(当時の英文社名「Nicoh」にちなむ)に、毛筆体の「二光」を組み合わせたロゴマークを採用し、直販店舗網を全国展開し始めた。1970年代末にはいち早くテレビショッピング『二光お茶の間ショッピング』に進出し、雑誌広告も「二光テレコムショッピング」、「二光TELESHOPプラザ」等のタイトルで引き続き手掛け、ヒット商品を数多く生み出した。テレビCMでは日本文化センターと同じく、CMの最後に独特の音程で電話番号がジングルで案内されていた。テレフォンショッピング電話番号は、当初は放送地域によって異なっていたが(末尾は共通で「2500」)、1987年頃に全国共通のフリーダイヤル(当時0120-22-2500)を導入した。

西友傘下入りから消滅まで

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1987年(昭和62年)、西友の資本参加を受けて二光株式会社商号変更。実質的に西友の通信販売部門を担い、西武ライオンズキャラクターグッズの販売窓口も兼ねる傍ら、雑誌・新聞媒体の通信販売やテレビショッピングを引き続き手掛けた。その後のバブル崩壊による消費低迷を受け、本社を江戸川区北小岩から、千代田区岩本町へ移転、さらに同区麹町と転々とした後、千葉県柏市に落ち着いた。

1970年代後半から1990年代前半までは、二光のライバルであった日本直販日本文化センターとしのぎを削っていたが、バブル崩壊による消費の低迷や、その後の外資系の通信販売業の日本進出や、新興勢力ながら当時急速に事業を展開していたジャパネットたかたが台頭したこともあり、後年には売上は著しく激減した。

西友がウォルマート・ストアーズ傘下に入った2002年平成14年)以降は、主に西友グループ向けの人材派遣事業業務請負)も手掛けるようになった。

21世紀に入っても通信販売の売上は改善せず、ついに2008年(平成20年)2月、過当競争の激しい通信販売関連事業から撤退し、人材派遣事業に専念する方針を表明[2]した。柏市の二光本社は同年11月に閉鎖され、西友赤羽店内へ移転したが、同業他社の相次ぐ不祥事で法的規制が強化されることになり、先行きは不透明化した。

2009年(平成21年)1月1日付で、株式会社西友リテールサポートへ商号変更、同年6月16日からは西友のチェッカー業務から撤退して深夜早朝業務のみを請け負うようになる。サンシャイン60の本社内に「管理部」が置かれた。

その後、2017年1月1日付で合同会社西友に吸収合併され、法人格が消滅した[3]。西友リテールサポートの公式ウェブサイトは、西友「ミッドナイト事業部」のページとされた。

元経営陣などの動向

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西友の傘下入りの際に、ビバ楽器は分社化され独立した。

また宝利ら旧経営陣も、二光薬局を基に新光通販株式会社を立ち上げて独立し、「宝力本舗」「ダンディクラブ」「ほほえみ元気クラブ」「東京山海堂」等の屋号を用い、中高年向けの精力剤やシークレットシューズ、衣料等を扱っていた。その他、株式会社ホーリ通信(熟年時代社、アートの友社)等を経営していた。なお新光通販は2014年公正取引委員会から景品表示法違反の措置命令[4]を受けた後、2016年より一部事業を独立前と同名の二光通販三光通販に分社化した。

過去の提供番組

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パロディ

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脚注

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注釈

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  1. ^ ギターウルフのセイジが永年愛用したカンフーギターと称される「Flampton」は、1970年代の「Thomas」とほぼ同じ仕様の製品ではあるものの、ニ光通販とは全く無関係で性能も大きく異なる。

出典

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  1. ^ 『ジャパン・ヴィンテージ Vol.6』(シンコーミュージック・エンタテイメントISBN 4-401-63044-0)の特集による。
  2. ^ 通信販売事業及び通信販売後方支援サービス事業の廃止に関するお知らせ 合同会社西友、2008年1月21日
  3. ^ 合併公告” (PDF). 合同会社西友 (2016年11月15日). 2017年5月26日閲覧。
  4. ^ 新光通販(株)に対する景品表示法に基づく措置命令”. 公益財団法人公正取引委員会 (2014年6月27日). 2021年2月13日閲覧。

外部リンク

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