乾崇夫
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(乾バウから転送)
乾 崇夫 いぬい たかお | |
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日本学士院によって 公表された肖像写真 | |
生誕 |
1920年1月16日 東京府 |
死没 |
2012年9月13日(92歳没) 東京都 |
国籍 | 日本 |
教育 | 東京帝国大学工学部卒業 |
業績 | |
専門分野 | 造船学 |
勤務先 |
東京大学 玉川大学 |
成果 |
波紋解析的船型試験法の 開発 バルブによる波なし船型の 理論を確立 |
受賞歴 | 日本学士院賞(1978年) |
乾 崇夫(いぬい たかお、1920年1月16日 - 2012年9月13日)は、日本の工学者(造船学・船型学)。学位は工学博士(東京大学・1958年)。東京大学名誉教授、日本学士院会員、文化功労者。
来歴
[編集]東京府出身。旧制第一高等学校、東京帝国大学工学部船舶工学科卒業。船体の造波抵抗、流れの可視化、数値解析、球状船首の研究などを行い、1958年東京大学から工学博士号取得。論文は「船体の造波抵抗に関する研究」。 1958年東京大学工学部教授、1980年定年退官、玉川大学教授、1988年文化功労者となる。日本学士院会員。2012年9月13日、肺炎により東京都内の病院で死去した[1]。92歳没。
造船学や船型学を専門としており、波の重要性に着目し波紋解析的船型試験法を開発した[2]。また、「バルブによる波なし船型」の理論を確立した[2]。東京大学、玉川大学にて教鞭を執り、後進の育成に努めた。2012年9月13日没[1]。
受賞歴
[編集]著書
[編集]論文
[編集]- 乾崇夫、高幣哲夫、熊野道雄「球状船首の造波効果に関する水槽試験」『造船協會論文集』第108巻、造船協會、1960年、39-51頁、doi:10.2534/jjasnaoe1952.1960.108_39。
- 乾 崇夫、菊池 義男、岩田 達三「安息香酸塗膜による模型船Wave Profileの測定」『造船協會論文集』第100巻、造船協會、1956年、47-67頁、doi:10.2534/jjasnaoe1952.1956.100_47。
- 乾 崇夫、菊池 義男、岩田 達三「浅水における造波抵抗」『造船協會論文集』第100巻、造船協會、1956年、35-45頁、doi:10.2534/jjasnaoe1952.1956.100_35。
- 下村 芳弘、北沢 孝宗、乾 崇夫、梶谷 尚「船体表面条件を厳密化した低速造波抵抗理論」『造船協會論文集』第146巻、造船協會、1979年、27-34頁、doi:10.2534/jjasnaoe1968.1979.146_27。
関連項目
[編集]- バルバス・バウ - 船の造波抵抗を軽減する装備としてのバルバス・バウの効果についての理論化を行った。ただし、それ以前から、経験則的にバルバス・バウの効果が知られてはいた。
- くれない丸 - 関西汽船の客船で1960年に阪神・別府航路に就航後、1961年に当時実験途上であった乾バウのひかえめなプロトタイプが装備され、僚船「むらさき丸」との併走実験が行われたのち商業船舶として初めて採用[3][4]。1988年、改造され、ロイヤルウィングとして横浜港からレストランシップとして就航していたが2023年5月14日に運航を休止。
脚注
[編集]- ^ a b “乾崇夫氏が死去 東京大名誉教授”. 日本経済新聞社 (2012年9月28日). 2012年11月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月12日閲覧。
- ^ a b 「物故会員個人情報」『会員個人情報 | 日本学士院』日本学士院。
- ^ 高幣 哲夫、乾 崇夫「高速客船くれない丸におけるWaveless Bulbの船首波打消しに関する研究」『造船協會論文集』第110巻、造船協會、1961年、105-118頁、doi:10.2534/jjasnaoe1952.1961.110_105。
- ^ 造船資料保存グループ[配布資料4]波なし船型の研究と"くれない丸"における大型球状船首の実船試験"「造船資料保存活動の報告」『海事博物館研究年報』第38巻、神戸大学大学院海事科学研究科、62頁、2010年3月。doi:10.24546/81005608。hdl:20.500.14094/81005608。ISSN 1880005X。CRID 1390290699904979328 。
外部リンク
[編集]- 乾崇夫(日本学士院、第2部第5分科、会員個人情報) - ウェイバックマシン(2014年3月9日アーカイブ分)