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丹陽鎮 (淅川県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
九重鎮から転送)
中華人民共和国 河南省 丹陽鎮
陶岔渠
陶岔渠
陶岔渠
旧称:九重鎮


中心座標 北緯32度41分49.84秒 東経111度47分33.92秒 / 北緯32.6971778度 東経111.7927556度 / 32.6971778; 111.7927556
簡体字 丹阳
繁体字 丹陽
拼音 Dānyáng
カタカナ転写 ダンヤン
国家 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
河南
地級市 南陽市 (河南省)
淅川県
行政級別
面積
総面積 134 km²
人口
総人口(2008) 5.4 万人
経済
電話番号 0377
郵便番号 474450
行政区画代碼 411326105

丹陽鎮(たんよう-ちん)は中華人民共和国河南省南陽市淅川県東南部に位置する。2007年までの旧名は九重鎮

地理

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九重鎮は淅川県南東部、河南省鄧州市、淅川県、湖北省丹江口市老河口市の市境に位置する。

歴史

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九重の地名は元末明初の混乱期に由来する。1368年洪武元年)、朱元璋大都を攻め元順帝をモンゴル高原に駆逐した際、四陀王も逃亡の準備をした。明軍により雁門関が封鎖されたことから南方に逃亡した。途中濮陽で明軍と再度交戦し四佗王は行方不明となった。その際、四佗王の孫は戦場を脱出、黄河を渡り鎮平県晁陂鎮一帯に逃れたが、明軍より隠れるには不適当として現在の九重鎮に移動した。そして祖父が四佗王であったことから,孫は王成と称しこの地に9つの小院を有す九重院を建築したことが鎮名の由来である

清代になると鄧県の下に九重里が設置され、その後1958年九重人民公社と改称、1972年には淅川県に移管された。1984年九重郷1996年九重鎮と改称された。

2007年の「豫民行批[2007]13号」公文によって丹陽鎮に改称され現在に至る。

下位行政区画

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下部に28村を管轄する

  • 九重村、解放村、更生村、夏荘村、下孔村、孔北村、王家村、劉溝村、張楼村、水閘村、薛崗村、王楼村、太平村、張河村、程営村、劉家営村、周崗村、武店村、陶岔村、張家村、張衝冲村、花櫟扒村、鄒楼村、王崗村、曽崗村、范崗村、高家村、孫営村

観光地

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  • 唐王橋遺跡
  • 南水北調中線渠首風景区
  • 張河遺跡