ときわ病院 (大阪府)
ときわ病院 | |
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情報 | |
正式名称 |
医療法人常磐会 ときわ病院 |
前身 | 医療法人仁成会 串田病院[1] |
標榜診療科 |
内科、外科、皮膚科、 放射線科、 リハビリテーション科、 整形外科[1][2] |
許可病床数 |
58床 一般病床:58床 |
開設者 | 医療法人常磐会[1] |
開設年月日 | 2010年2月[1] |
閉鎖年月日 | 2016年9月10日[1] |
所在地 |
〒551-0013 |
位置 | 北緯34度38分50.9秒 東経135度28分14.6秒 / 北緯34.647472度 東経135.470722度 |
二次医療圏 | 大阪市 |
PJ 医療機関 |
医療法人常磐会 ときわ病院(いりょうほうじんときわかい ときわびょういん)は、かつて大阪府大阪市大正区小林西に存在した「医療法人 常磐会」が運営していた民間の病院。前身は1937年3月開業の医療法人仁成会 串田病院[1][3]。地域密着型サービスを提供する中規模病院として機能していたが[1]、再三にわたる経営悪化と従業員への給与未払い問題などにより2016年に倒産、閉院した[1][4]。診療科は内科・外科・皮膚科・放射線科・リハビリテーション科・整形外科[1][2]、58床の一般病床を備えていた[5]。
沿革
[編集]1937年3月に前身である串田病院が設立[1][3]。戦災による焼失など被害を受けるが、1974年1月には新病棟を完成させ[3]、仁成会として法人化を果たす[1]。2010年2月には医療法人常磐会に商号を変更し、ときわ病院に改称する[1]。しかし診療報酬改訂などにより経営状況は悪化、2009年3月期の時点では連続赤字による債務超過状態となっていた[1]。その後理事長が交代し一時的に黒字復帰したが、2015年3月期の決算では負債総額が8億329万円に上るなど再度経営が厳しい状況となった[1]。さらに数千万円に及ぶ従業員への給与未払いの発生[1][4][5][6]や無認可での再生医療の提供[7]といった経営問題が露見し、2015年12月には入院病棟を閉鎖し外来診療のみの体制に変更、大半の看護師・事務員らが退職した[1][4][5][6]。同時期に市税の滞納や不動産の差押さえなどによって資金の確保が難しくなり、2016年9月10日には外来診療を停止させ、閉院となった[1]。この事実上の倒産に伴い、国が元従業員らの未払い賃金の一部を立て替える救済措置が取られた[4]。
周辺施設
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q “(医)常磐会”. 東京商工リサーチ. 2018年8月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月25日閲覧。
- ^ a b “医療法人 常磐会 ときわ病院”. 医療法人 常磐会 ときわ病院. 2012年6月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月25日閲覧。
- ^ a b c 大阪都市協会 1983, p. 315.
- ^ a b c d “ときわ病院:給与未払い問題 10日最後に閉院へ /大阪”. 毎日新聞 地方版 (2016年9月8日). 2018年8月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月25日閲覧。
- ^ a b c “大阪の病院で数千万円分の給与未払い 病棟閉鎖で100人離職も… 大阪労働局が調査(2/2ページ) - 産経WEST”. 産経WEST (2016年3月2日). 2018年8月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月25日閲覧。
- ^ a b “大阪の病院で数千万円分の給与未払い 病棟閉鎖で100人離職も… 大阪労働局が調査(1/2ページ) - 産経WEST”. 産経WEST (2016年3月2日). 2018年8月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月25日閲覧。
- ^ “無届けで再生医療、給与未払いの大阪のときわ病院 厚労省が立ち入り検査 - 産経WEST”. 産経WEST (2016年7月15日). 2016年7月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月25日閲覧。
参考文献
[編集]- 大阪都市協会『大正区史』大正区制施行五十周年記念事業委員会、1983年。